無意識日記々

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観たいなぁ。


香港公演の日程が発表になった。先日発表された台湾公演が8月10日11日、そして香港公演が8月17日18日。これで空いていた8月の土日のうち残るのは8月24日25日だね。同日に設定されているサマソニバンコクが来るのだろうか? サマソニ東京大阪は17日18日で、こちらは香港で埋まってしまったからね。16日17日に北海道で開催されるライジングサンも無理になった。『SCIENCE FICTION TOUR 2024』の全貌が、徐々に明らかになりつつある。


台湾公演の競争率も相当のものだったようで。これは初めての公演地なら仕方のない部分がある。ペイできる最低限の公演規模と日数からまずやってみるだろうし。次はもっと盛大にしてくるだろう。とはいえ、また6年も経てばわからなくなるか。



ヒカルさんはコンサートツアーへ向けての心境を、ラジオ(4/13全農Countdown Japan)で次のように語った。


『怖い。久しぶりだし、普段日常的に、ねぇ?やってることじゃないから。』


…だってさ。ヒカルさん、あのねそこで「ねぇ?」するのは無理がある。ミュージシャンてのはツアーが日常って人も結構いるし、なんだったらその番組に出てる人達はそっちが多数派かもしれない。一年のうち200日以上がライブ予定で埋まってる人も居る。もちろん、スタジオ作業がメインの人も沢山居て「人それぞれ」なのは間違いないんだけど、貴女だって望めば「ライブに費やす時間の方が多い」音楽家人生を送る事だって、可能なのよ? だからライブが非日常なのは貴女の選択であって、当然の前提じゃ、ないのよ?


ま、それはそれ。理屈の上の話でしかなく。現実のヒカルさんはご覧の通りライブを「非日常」のものとして捉えている。これは悪いことじゃない。確かに観たいと切望している人達が次々に鬼籍に入っていくようなペースを維持して25年だが、まずその分創造性が桁違いだ。今回の2枚組『SCIENCE FICTION』を聴いてると、「1人でザ・ビートルズ以上の質と量を誇る楽曲を書いてきたんだなぁ」と慄然としたわ。あり得ないことですよこんなん。これが可能になっているのも、この奇跡より遥かに稀な才能が、ライブを滅多にせず創作に打ち込んできたからに他ならない。その恩恵をSFを通じてたった今受けている身としては、ツアーが非日常になるのも必然と受け容れる気にもなる。


もうひとつ、ライブを演る方も非日常の感覚があることで、うちら観客の気持ちに近いというのがある。ともすれば、「観る方にとっては一生に一度の体験だけど、演る方にとっては何百何千と過ごしたいつもの夜でしかない。」という意識の齟齬がステージの上と下で生じるものだが、ヒカルさんの場合はそれがとても小さい。全く同じというわけではないだろうけど、「次またいつここで歌えるかなんてわからない」という特別に神妙な気持ちで歌う姿勢はそれはそれは特別な夜をもたらすだろうからね。ここは、“チケットが手に入った人であれば”とても嬉しい気持ちのシンクロとなるだろう。お互いにとって特別な夜。いいよねぇ。


そして、喉が元気というのもデカい。この間「with MUSIC」で椎名林檎と共演したが、林檎嬢の歌声が随分と使い込まれたものだったのに対してヒカルの歌声のフレッシュなことといったら。脳は回数を覚える。何度繰り返したかが大事なのだが、ヒカルはまだまだ回数を歌っていないのだなと痛感させられる対比だった。まだまだ喉が衰える事はないだろう(林檎嬢の喉が衰えてるわけではない/最適化が彼女の方が進んでるという話)。ヒカルさんは普段から体を鍛えてるみたいだしな。


なのでつくづく、今回の『SCIENCE FICTION TOUR 2024』、「観たい」と言うしかない。ここの読者の中にはお家で聴くのが好きで公演にまでは興味がないという人も在るかもしれない。ヒカルさん自身がそうなのだからリスナーがそうなるのも自然な事だ。しかしまさかロンドンに住みながらライブハウスに通ってなかったとはな…! カマシ・ワシントン観に行ったのとか、レアだったんだねぇ。っとと、話が逸れた。ライブが日常の人も非日常の人もどちらも居るように、ライブを観たいかどうかもまた人それぞれだ。だから敢えて強調する。観たいなぁ。どれだけの感動を与えてくれるやら、ここまで来ちゃうと最早想像がつかないもの。とんでもないステージを魅せてくれる予感が、とてもとてもしているよ。

「NHK MUSIC SPECIAL」を観た感想




昨夜の「NHK MUSIC SPECIAL」45分、勿論CM無しでその上オープニングエンディングもなしな上途中VTRを挟む事もなくひたすら問答と歌を交互に繰り出すだけのシェイプアップされた構成だった。何を見せればいいのか、限られた時間で最大限の満足感をどう与えられるか、制作陣はよくよく知ってるわね。総合テレビでの放送だったけど、どちらかといえばETVっぽい演出手法だったかも。


と細かい差異を指摘するよりも何よりも、この全体を覆う「NHK伝統の演出」の数々にちょっと怖くなってたというのがメインの本音でね。物心ついた頃から、教育テレビをずっと眺めていた幼稚園児の頃にみたものから全く変わっていないカメラアングル、編集点の取り方、笑いや拍手の入れ方、人の配置、アナウンサーの役割、何もかもがNHK的で、ザッピングの中で通り過ぎるだけの一瞬でもそれとわかるの、なんだろうな、今は編集デジタルだろうに、アナログにテープ切り貼りしてた頃と変わらないの不気味で仕方ない。流石に40年前と同じプロデューサーが未だに現役ってこたないよな? それだと更に怖いけど。


だなんて引きの悪い話から始めているのは他でもない、そのNHKの演出手法の根幹である「真実すら虚構にして放送する」という“信念”があまりに宇多田ヒカルのもつ「いつでも本気」のポリシーと相反しているからだ。人が本音を話す時ですら台本や脚本に沿わせて、意のままに画面に映す。まるで人間一人々々が白黒のチェスボードの上の駒みたい。


そんな中でもその演出に飲み込まれない宇多田ヒカルは流石だった。これが言いたかった。


当たり前だが、半世紀どころでない歴史を誇るNHKの呪いに一般人などなす術もない。私もあの場にいれば駒にされていただろうな。だが、ヒカルの「自分のリズムでいこう。」は崩されなかった。どれだけ寄りの絵を取られようが、自在な編集点に切り取られようが、ヒカルの「今」は崩さない、崩れない。そのリアリティはあたかも小津作品でひとりだけ生身の人間として異彩を放つ杉村春子のようだったわ。完璧な操り人形と化す笠智衆もまた素晴らしいのだけれども。


嗚呼、ついでだから補完しとくと。ヒカルが「幸せとは?」という質問に対して答えた「今」というのは、別に「41歳の自分」とか「こどもと過ごしている2024年現在の生活」とか「NHKの番組収録に参加してるこの状況」とかの意味ではなく、「今を感じているこの瞬間」のことを指していた、筈だ。未来への希望や展望や絶望だけでも、過去への憧憬や懐古や後悔だけでもない、それら総てを包含するたった今という瞬間を味わえてる事自体を感謝する、という感覚のことを指しているのだと思った。かなり抽象的な回答であった。


そうなのだ、ヒカルは、「これから撮れ高を切り貼りされて言ってないことを言ってるかのように編集される」テレビ番組の収録という人工的な時間の流れの中にあってすら「今」を見失わなかったのだ。『True Secret Story 』とか『今の私』とか『SONGS』とか『仕事の流儀』とかで大変お世話になっている局なのだが、一方で看板の紅白歌合戦には一度しか出演していなかったりで、正直距離感の取り方が難しい場所だと先だっては思っていたのだが、全く全然大丈夫だったね。ヒカルはヒカル。どこにいたって私は私なんだから─と、本日発売24周年を迎えた、発売と同時にミリオンセラーという記録を作りながら『SCIENCE FICTION』に収録されなかった名曲『Wait & See 〜リスク〜』の一節を引用して、視聴後の感想の総括に変えましょうかね。歌も問答も、素晴らしかったですよ。

文◯と細◯


ディテールの話は後回し、と思ってたけど今日もまた新情報満載で煽られたので前言撤回。歌詞の文の細かい話をするよ。



4月25日発売のSFマガジンにヒカル登場とな!


となると、『Electricity』の歌詞が話題になってるだろうかな。なんつったって、


『あなたはどの銀河系出身ですか?』


だもんね。まるっきりSFだよね。ここで、2番Bメロ終わりに至る迄に1番Aメロで『違う惑星みたい』とか2番Bメロ頭で『美しい鉱物』とかのワードを前もって鏤めておくことでこの突拍子も無い一節の唐突感を薄めているのが、巧みだわよね。ビックリはするけど流れとして不自然じゃない絶妙なバランス。お笑いや作劇の教科書にも書けそうなお手本のような伏線の張り巡らし方だわさ。


さてそんな『Electricity』で更にSFっぽいのが、Dメロと言われそうな


『私たちの細部に刻まれた物語

 この星から文字が

 消えても終わんない』


のパートだよね。最後の『終わんない』がまた『何にも信じらんない』を彷彿とさせるのでやっぱり『何色でもない花』と『Electricity』は姉妹曲だよね名高い学者はアインシュタインだよねとなるのだけど今回はそれはさておき、この『Electricity』の、英語のリフレインを除いた日本語歌詞としては最後のパートでは一体何を言っているのだろうか?


『この星から文字が消えても』というのは何となく意味はわかるけどという感じなので思い切ってこの『文字』を「文明」と読み換えてみよう。


「この星から文明が消えても終わんない」


…のが「私たちの細部に刻まれた物語」、なのだ。


ふむ、ここで、1週間後にSFマガジンが発売になるということで更に大胆に発想を飛躍させてみるか。SF的発想をとるなら、この『細部に刻まれた物語』というのは「遺伝子」と解釈できそうなのだ。つまり、『文字』を「文明」と読み換えたように、『細部』も「細胞」と読み換えてみる。すると


「私たちの細胞に刻まれた物語

 この星から文明が

 消えても終わんない」


てな風になる。『物語』というのは具体的な遺伝子の構造のこととかになるだろうか。数多の試練を乗り越えて、一代も途切れることなく受け渡され洗練され続けてきた遺伝子の辿った軌跡を物語と言わずして何とする、というか。ちょっと強引だけど、まとめると、このDメロパートの含意は


「たとえひとつの文明が滅んでも、生命の営みの連鎖は途切れない。」


てな感じになるかな。恐らくSFマガジン的には、こんな風な解釈を返すのが順当なんじゃないか。仮にこの解釈を振られたとして、ヒカルが更にどう返すか、に注目したい。


ヒカルはヒカルで、「遺伝子(gene)」という単語を歌詞に登場させた事がある。『This Is Love』の『鳴り止まない遺伝子』と『Let Me Give You My Love』の『start mixing gene pools』だね。どっちもエロい意味だったが、今回は歌の主人公が宇宙人なだけに生殖観が地球人と同じなのか、そもそも生殖観なんてあるのか、そこらへんをヒカルがどう設定してたかによるよな。あたしとしては、「地球人を滅ぼす気になったこの歌の主人公が実はその地球人の1人と交配してしまい…」みたいなストーリーを想像してるのだけど、はてさて、どんなインタビューになっているのやら? 1週間後の発売を待ちましょうかね。




追伸:歌の最後のリフレイン『I just wanna celebrate with you』は自動詞なので、訳は「あなたと祝いたいだけ」ってより、「あたしゃあんたとバカ騒ぎしたいだけなのよ?」みたいな風になる。これ結構この歌を理解する上で大事なフレーズかもね。

今夜「NHK MUSIC SPECIAL」に出演




えぇっと、今日からの4日間のうち3日テレビ出演!? ここに至ればなるほど、『デビュー以来こんなにテレビに出たことあったか私』と呟いたのも納得よね。CM2つと絡むとなるとやはり過去最高の月間出演時間になるのかもしれない。


こちらとしては、勿論トークも楽しみだが、テレビ向けとして新しくパフォーマンスが得られるのが得難い。今夜は『Electricity』『光(Re-Recording)』『traveling (Re-Recording)』の3曲。何れもテレビ初披露、パフォーマンス初お目見えとなる。


それどころか、『光』も『traveling』も、2001〜2002年当時地上波テレビ出演はなかったのだ。特に『光』は「HEY!HEY!HEY!」などで“皿洗えてないPV”が話題になっていたから錯覚しかけるが、あれはその後、『SAKURAドロップス』で出演した回のトークだった。そこで『光』の別テイクが生まれたわけではないのだ。『traveling』に関しては、FOMAのTVCMが沢山打たれていたからテレビから歌が流れる機会は多かったがこれもテレビでのパフォーマンスはなかった。米国同時多発テロの影響もあったのかもしれないが、初めてコ・プロデューサーとしてアルバム制作の真っ只中だった為スタジオを離れられなかったというのが真相か。『SAKURAドロップス』と『Letters』は、アルバム制作終了後でのテレビ出演収録だった。


そんな二十数年前を思い起しても、今回の歌は本当に貴重だ。テレビしか観ない人にとっても、欠かさずヒカルのテレビ出演を観てる人にとっても新鮮な体験となるだろう。


そして、『Electricity』初披露よな。NHKだから歌詞の字幕は出るのだろうか。あの特徴的なフレーズの数々はかなりのインパクトをお茶の間に与えるだろう。2002年の年間トップ10ヒット曲2曲と並べて歌っても全く遜色ないどころか、今の宇多田ヒカルの充実ぶりを広く知らしめる絶好の機会となるわよね。正直、これ以上コンサートチケットの競争率が上がるのはやめてほしいんだけど(笑)、今夜のパフォーマンスをみてCDを買ってでも生で観たいという視聴者が一定度出てくるんじゃないかな。


そして、NHKだから一切おくびにも出さないだろうが、これは「伊藤忠綾鷹どっちが目立つか」という好奇的な目線でもみることもできるだろうね。広告代理店の皆さん血まなこ(笑)。


しかし、ここで『Automatic (2024 Mix)』や『First Love (2022 Mix)』ではない『光(Re-Recording)』という選曲をしてくるって、日テレの『with MUSIC』に引き続き、NHKにも宇多田ガチ勢が紛れ込んでいるのは最早疑いがないところでしょうね。仕事の流儀やSONGSでわかってたことだけどもな! はい、今夜は本当に楽しみですね!

『SCIENCE FICTION』がライブを意識してる傍証


『SCIENCE FICTION』が「ライブ予告盤」であると私が主張するのは、例えば全体的に曲の終わり方がカットアウト気味になっている傾向にある事からもわかる。私としては小さい頃から「フェイドアウト警察」をしている身…というのは嘘だけれど、小さい頃からフェイドアウトに出会う度に「マイナス1点」するこどもだったからわかるのだが、ライブコンサートを重視する人ほどスタジオ・バージョンでフェイドアウトをしない。これは当たり前の話で、リアルな演奏でフェイドアウトなんて出来ないからだ。コンソールに頼んで各楽器の音量を下げていってステージ上でもフェイドアウトをしてみる人がいるけれど、まぁしまらない。拍手するタイミングを見失うからね、観客が。ライブ慣れした演者は曲の終わり方に拘る。拍手したり歓声をあげたりするのはここのポイントですよと明示してくれるのだ。フェイドアウトにはこれが全く無い。例えば今回、特にキャンシーの終わり方なんかがいいよね。これライブでやったら爆発的な賞賛を浴びるんでないか?


そうなのよ、曲の終わり方ってホント大事なの。6年前の『Laughter In The Dark Tour 2018』ではその『Can You Keep A Secret?』をフィーチャーした『Kiss & Cry』が大喝采を浴びていたけれど、あれも同曲の終わり方がとてもライブコンサート向きだったからだと思うんだ。最後ヒカルの短い独唱で高い歌唱力を示して終わるあの構成こそが“ライブ向きのアレンジ”の典型例。そしてキャンシーに限らず、『SCIENCE FICTION』の楽曲は全体的にその傾向が強いように思われるですよ。再録/リミックス/リマスターによらず、ね。



もうひとつ挙げたい「SFがライブを意識して作られている」と思わせるポイントがスネアサウンドだ。スネアというのは一言で言えば音楽の「ノリ」そのもので、0歳児の赤ん坊から死ぬ間際のお年寄りまで「音楽のリズムにノる」というのは「スネアに合わせて体のどこかを動かす」事と大体同義だ。なのでヒカルはこのスネアの音作りに拘るのだが(たぶん一番好きなのはクラップ(手拍子)音だと思うけども)、今回ここのミックス&リマスターにも拘っているように思う。


最も顕著だなと思わされたのが『Flavor Of Life -Ballad Version-』だ。今回のSFでは、2007年に発表されたトラックに較べて随分スネアサウンドがクリアに強調されている。なのでこの2024 Mixは、テンポ(BPM)を変えていない/上げていないのにも関わらずまるで『Flavor Of Life』のようにすら聞こえる。そう、『Don't Be Afraid/You'll Be OK』のコーラスが入っているオリジナル・バージョンの方のようにね。これも、ライブ映えを考えてのことのように私の目には映った。いや、耳に聞こえたというべきかここは。もし『SCIENCE FICTION TOUR 2024』で『Flavor Of Life -Ballad Version-』が歌われたら、「これはただのラブバラードじゃないぞ? すごく気分が高揚してくる!」とアップテンポ・ナンバーみたいに思わせる事になるんじゃないかな。



そんな感じで、ニューアルバム『SCIENCE FICTION』は、サウンドの端々節々からもライブを意識している事が窺えるので、聴いているとどうしてもライブへの期待感が高まってきてしまう。ほんに、全員当選したらいいのにねぇ。再三再四言ってきてるけど、どっかフェス出てくれんかね? 香港の日程次第で、どこのフェスに出れるかが決まるので、海外までは行くつもりのない方々も、要チェックでございますわよ?