無意識日記々

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あー全然説明が足りない…

熱心な人はもう「MovieNEX」をググったんかな。ならもうあんまりこの日記読まなくてもいいんだけど。(笑)

MovieNEX」は同じ内容の映像作品のDVDとBlurayとデジタルダウンロード権をひとつの商品として売る方法論だ。つまり、店頭で自分がどれを買うか悩む必要がない。1種類しかないんだから。

色々と便利なのは間違い無い。リビングではBlu-rayで鑑賞し、自分の部屋ではパソコンのDVDで、出先ではタブレットで、というのをひとつの商品で済ませられる。車載用にBlu-rayを持っている人はまだまだ少ないからDVDは重宝するし。

そもそも、ディズニーがこの方法をとっているのは、購買層に対してBlu-rayがそこまで普及していないからだ。DVDで観たいというニーズは2019年になっても依然強い。

これは、ソフトを選ぶ。ここが肝心だ。つまり、映像作品の内容が、ソフトがハード(メディア)を決めるのだ。

わかりやすいのがアニメ作品でねー。男性向けのアニメだとBlu-ray購入者は全体の9割なのだが、これが女性向け作品になったら五分五分になる。半々だね。性差別と言われそうだが、そういう傾向はハッキリ出ている。

まぁそれは日本の深夜アニメとかの話だが、ファミリー向け、ライト層向けの作品を作っているディズニーでもDVDの比率は高い。(とみられている)

もっとわかりやすいのは映像作品のレンタルだ。実写もアニメも未だにDVDの方が圧倒的だ。Blu-rayは全体の2割にも満たないだろう。

つまり、Blu-rayの画質云々に拘るのは深夜の美少女アニメの円盤を買うようなヲタクやマニアであって、半分近くの国民は「画質とかよくわかんないし普通に観れればいいからできれば安い方を」と考えているのだ。

MovieNEX」はそこを封じる。「安い方」が無い。これを買わないと観れない、となれば買うしかない。勿論、高いと断念する人も在るだろうが、観たい人はまぁ少し高いかな程度なら買っちゃうよね。そもそもレンタルで済まそうと考えていない時点でお金はある程度使う気なのだから。

それはまぁ買い手側の心理。売り手側の事情からすると。Blu-ray単品の値段とそこに同内容のDVDを同梱したものの値段は、実はそんなに変わらない。実際に試算した訳ではないが、精々2~300円も違うかどうかだ。両方同梱の製品が10000円としたら、Blu-ray単品だと9800円とかになる。どっちを買うかと言われたら10000円の方じゃないだろうか。故に一旦「MovieNEX」を採用したらBlu-ray単品での商品を出す意味はほぼない。

だが逆はシビアだ。DVD単品になれば1000円は変わる。10000円が9000円になったら安い方を選ぶ人も出てくるだろう。

ここらへんの算段なんだな。

宇多田ヒカルのファン層を考えた時、『WILD LIFE』の売上が参考になるかは難しいが(もう8年経ってるからね)、今でもDVDで十分と考える層は数十%単位でいるだろう。彼らの事を考えれば、DVD単品をリリースしても十分商売になる、が、リスクもある。こちらの想定よりもDVD購買層が少なかったら? 無駄に生産はしたくない。かといって真逆の品切れはもっと避けたい。

となれば、「MovieNEX」の手法は魅力的だ。市場の動向はそこまで細かくみなくていい。同梱版を売れば事足りる。ここでも肝心なのは、DVD所望層が、少々値が張っても「結局買う」と予想できる事だ。その信頼を託せる商品を提供している自信がないと買い控えを生み売上を落とす。宇多田の円盤を買う層は1000円やそこら割高だろうが買ってくれると踏んだからこそのこの今回のフォーマットなのだ。まぁ、その期待に応えてあげると致しますかね。

裸婦抱く発売20190626

やっと『Laughter in the Dark Tour 2018』のフテジ詳細が発表になった。発売日は6月26日水曜日!

いやぁ、盛り沢山な内容だ。

・本編とインタビュー&ドキュメンタリーを収録したDVDとBluray

・アナログ12インチサイズと思しきライブフォトブック

・『Forevermore』『あなた』『初恋』のMVとメイキングを収録したDVD

と至れり尽くせり。そこにバックステージパスやらネックストラップ(先着)やらのおまけもついてしめて税別10000円! 税別!

…でもなぜっ!

なぜこれだけ盛り沢山なのにっ!

ここで前回あれほど強調したCDが同梱されていないんだっ!(笑)

…最早ネタとしか思えない(笑)。やれやれ、今回も私の1番の願いは叶わなかったか。でもでも2番目以降の要望は総てといっていいほど叶っているな。アナログサイズのライブフォト写真集、DVDとBlurayの両方、インタビューにドキュメンタリーにメイキングにと。いやはや、有り難い。

更に素晴らしいのは各種配信も出揃っていることで。Netflix、スカパー!オンデマンドにiTunesとなかなかに充実している。これで「ポケットにラフダク」がそれなりに実現できるぜ。これまたまた有り難い。

音源商品の方が「アナログとストリーミング」に二極化しつつある世界的な潮流にあわせてこの映像作品も豪華特典満載盤と配信販売・ストリーミングの二極化を狙った訳だな。いい判断だと思う。本当に梶さんはこういう判断を外してこないね。改めて凄いと思います。

で、同内容のDVDとBlurayが同梱されている事を不思議に思った人も在るかもしれない。これはディズニーが6年前から「MovieNEX」として採用している手法に似ていて…ってこの話は少し長くなるな。次回に回すとしましょうか。

なので、正直そろそろ幻滅したい。

『初恋』解禁から1年か…まだそれだけしか経ってないの!?というのが正直な感想だったりする。明らかに聴いた回数がおかしい。自分の印象の中で、こんなにひとつの曲を、1枚のアルバムを何回も聴くというのは近年なかなかない。

1年前の『初恋』解禁はドラマの挿入歌ということで当時暫くは歌のイメージとドラマのイメージが随分と重なっていた。歌を耳にするとドラマの一場面が浮かんでくるような症状が続いていたのだ。それも今は昔。今や『初恋』を聴いてもドラマのドの字も出てこない。誰が出てたっけ?なんてドラマだっけ?と一瞬改めて思い出さないといけないくらい。

代わりに思い浮かぶようになったのはいうまでもなく同曲の『Laughter in the Dark Tour 2018』でのあのパフォーマンスだ。まさかJ-Pop永遠の大名曲である『First Love』を前座扱い、露払いに指名するなんていう大胆な真似をするヤツが出てくるとは、ね。勿論そんなことが出来るのは宇多田ヒカル本人しか居なかったんだ。

あの厳かな大迫力のお陰でスタジオ・バージョンを今聴いても"端正なプロトタイプ"にしか聞こえない。当然、思い出す度に印象は"盛られて”いくわけで、その都度ライブ・パフォーマンスの神格化は酷くなってきていた。

なので、正直そろそろ幻滅したい。お前の中で膨れ上がって肥大化した『Laughter in the Dark Tour 2018』の強烈な印象は、インパクトを掘り返し続けた事に寄る記憶の改変でしかないのだと、実際の演奏と歌唱はこのようなものであったと、正規の音源と美麗な映像で直視させてうただきたいのだ。(なんかMikihhiんちに行ってデカいテレビでエムオン!で放送されたヤツを観に行くつもりだったんだけど未だに実行に移していないので、なんだろう、このまま円盤の発売になっちゃうのだろうか。モタモタしてんな俺。まぁそんな個人的な事はいいかな。)

でも、どちらかといえば円盤を鑑賞するよりも映像を配信して貰っていつでもどこでもポケットから『Laughter in the Dark Tour 2018』の音を聴けるようにしたいという方が要望・希望としては強いかな。そりゃさ、ライブ・アルバムを出して貰えるのがいちばんいいんだけど未だに一度も実現していないからね…

…いや希望は捨てちゃならんな。

ポップ・ミュージックには「ライブ・アルバムの名盤」というのが数多く存在する。ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」とかそういうヤツね。勿論DVDでもいいんだけど、「ライブの素晴らしさで歴史に名を連ねる」為にはやはりまだまだ純粋な音楽作品として世に問うた方がいいように思う。この日記ではもう何回も書いてきたけど、実現するまでこれからもしつこく書いていきたい。「宇多田ヒカルのライブ・アルバムが欲しい」とね。読者の皆々様に於きましては「また始まったよ」とそこは軽く流しておいて欲しいぜ。

独特のファン層構成

前回はまた詰め込みすぎた(>_<) 本当なら10倍の字数を掛けて説明しなきゃいけない内容なんだけど、そうやって薄めて書いてたら書いてるうちに自分が飽きてくるんだよね~ただの作業になっていくというか。そうなると書く気がなくなるので、ならば圧縮して書き留めておいて気が向いたらまた一部ずつ書き出していくみたいなやり方の方が現実味がある。何しろこの日記の第一読者は自分自身なので、読み返した時に読みたくならないものはなるべく書かないのですよ。ま、たま~にやっちゃうんだけどね。

情報の飢餓状態が暫く続くと空腹に慣れすぎていざ実際に情報が飛び込んできた時に消化不良を起こしがち、というのは毎度言ってることだけどそれはつまりこちらから情報を取りにいきたがる・探したがるようなファンはプロモーション上対象外という事なのだ。ほっといても買ってくれるんだからあらためてプロモートする必要が無い。限られたリソースで宣伝活動をするときに費用対効果の点で真っ先に落とされるのがこの層だ。

とはいえ、熱心なファンは自分たちが熱心だという自負がある。別に厚遇してくれとは言わないが、お金は払ってるんだからそれなりのリアクションが欲しいと思うのが自然。

ここで話が他のアーティストたちと別れるのだが、もっと払ってもいいからとファンクラブを所望するのは、その熱心さの受け皿が欲しいからだわな。が、御存知の通りヒカルはファンクラブを持たない。言い方は冷たいが、熱心なファンは別に要らないのだ。いつも言ってる通り、曲毎に来たり去ったりしてくれれば、と。活動は不定期だし待つのも待たせるのも居心地がよろしくない、と。

そんなだから「誰かを熱心に追い掛けたい情熱」を持つ人間はなかなかヒカルに入れ込まない。アルバムやツアーがあるときはいいのだが、情報が途切れると受け皿がない為情熱が彷徨う。でまぁファンクラブのある他に行ったりするんだな。

まぁこちらとしても「次また盛り上がった時に戻ってきてくれれば」とリラックスしているので、慣れたものよね。そうやって形成されるファン層なので、いつまで経っても初々しいと言いますか…デビュー20周年を迎えてもいまだに「コンサートは座るの立つの?」という戸惑いが聞こえてくるのは新鮮でござるよ…。

これで年齢層がヒカルと共に上がっていくならまだしも、気がついたら随分若返っているという、ね。社会人になったり家庭をもったりすれば熱量は下がらなくても時間を割けなくなるのは当然なので学生さんやら独身さんのアウトプットの比率が多くなるのは常なんだけど、それにしたって若いよねぇ。

斯様に独特の事情が重なって今の宇多田ヒカルのファン層は形成されている。相変わらず熱心なファンへの冷遇(笑)は続くだろうけど、そんな感じだから気にせずもう暫く穏やかに過ごしてうただきたいものです。

ちょっと小難しい話になっちゃったな

さて残り香の方から歌詞を見直すとなればそれは元に戻るという事だ。ほぼおさらいだね。

残り香の漂う部屋で肩を探すのかそもそも残り香自体も探すのか。その差を生むのは1番の歌詞の解釈即ち「破局のタイミングと場所」を聴き手がどう捉えるかにかかっている、というのを過去3回で見てきた訳だ。ではどれが正解なのだろう?

勿論全部正解である。

ここで紋切り型に「歌詞は作品。であるなら解釈は受け手に委ねるべきだ」と言い切ってしまっても問題ない。しかしそこは宇多田ヒカルですよ? それを敢えてわざとやってんだよね。

つまりヒカルは『残り香』においても、『Goodbye Happiness』や『Can't Wait 'Til Christmas』、そして『真夏の通り雨』や『荒野の狼』のように“多義的な解釈が可能な歌詞"を書いているのだ。

多義的というのは描写が曖昧なのではない。解釈の着地点自体を複数用意しているのだ。だから最初にリスナーが歌詞を感じるままに受け取って想像した風景に破綻は生じない。が、いざ冷静に分析的に歌詞を繙いていってみるとよくわからなくなっていく。ここらへん何か魔力めいたものすら感じさせるさせる技術があるわ。

先程挙げた多義的な歌詞を持つ曲たちも、内容が異なるどころではない、多義性の持たせ方の方法論自体からして互いに相異なるという離れ業ぶりなのよ。

郷愁に浸る人も圧倒的現状肯定派も肯く歌詞。クリスマスが好きな人も嫌いな人も同感する歌詞。亡き母を想う歌と若い頃の恋を思い出す歌。いずれにせよ関係ない歌…また細かく講釈を述べたくなるが、目も眩むような発想と実現技術が目の前にあるのだ、という点だけは再度わかってうただきたい。

その“多義的な歌詞"がこのアルバム『初恋』に到って更に進化している。究極は『嫉妬されるべき人生』だろうがこの『残り香』もまた強烈だ。このアルバムに於いての歌詞の独特の特徴は、謂わば歌詞が「鏡」の機能を強く持つことだろう。

結論だけ書くと、貴方が歌詞をどう解釈したかによって貴方の物事の感じ方や考え方が顕わになる機能が強いのだこのアルバムの歌詞は。鏡のように貴方の心を写し出す。故に、相互いに全く異なる解釈をしたリスナーたちがひとつの歌を聴いていずれも「この歌詞はどうして私の今の心境を歌っているのか」と驚く羽目になる。驚異的だな。

この『残り香』では、貴方の恋愛観のようなものが浮き彫りになる訳だ。それぞれがこういった、手が出せそうで出せないアバンチュールを提示された時どう感じるか。『二時間だけのバカンス』でも同じように歌詞の解釈が多岐に渡ったが、『残り香』においてはヒカルがそれをかなり意図的に仕掛けてきているようにみえる。でなくば『小さな夜』といった表現は採用されまい。

ちょっとこういう技術的な「舞台裏の話」はウケがよくないかもしれない。優雅に見える水鳥も水面下では必死に水を搔いている的なな。せやけどそれを自覚した上で聴いてもヒカルの魔法は解けない─私にはそう思えるのですよ。なので、こういう話も遠慮無く書くです。