無意識日記々

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日本語で進行してサビのキメは英語のリフレイン

英語詞曲と日本語詞曲という分け方をしている/出来るのは宇多田ヒカル名義とUtaDA名義が明確に別れていたからであって、そもそも宇多田ヒカル名義の曲では歌詞が日本語と英語のミックスなんたよね。

大体、日本語曲といっても初期は曲名が英語な歌が大半で、それが今や全曲日本語タイトルのアルバムを発売するまでになったのだから歌詞の変遷は寧ろ曲タイトルの変遷であると言えるかもしれない。

日本語と英語のミックス曲といっても使われ方は明快で、基本的には日本語で曲が進むのだがサビの印象的なリフレインだけ英語、というのがソレだ。例えばファーストアルバムでいえば、『Automatic』『Movin' on without you』『In My Room』『time will tell』『Never Let Go』『Give Me A Reason』が当て嵌る。半分以上だね。『First Love』もタイトルコールではないだけでサビの出だしは英語だ。『甘いワナ』はそもそも日本語タイトル曲』、『Another Chance』はBメロの最後にタイトルコール、『B&C』はサビの最後に『Bonnie & Clydeみたいに』が出てくる。結局はキメの一言は英語ですよという感じ。

では、曲タイトルが総て日本語になった2016年の『Fantome』ではどうなっているのか。

『道』は基本日本語歌詞だが、サビが結局『It's a lonely road.』なので、昔なら『A Lonely Road』みたいなタイトルにするところを日本語に直しただけ、という見方もできる。『俺の彼女』は叙述的な歌詞で、キメのフレーズはフランス語という『ぼくはくま』と同じ手法の楽曲。ヒカルの曲でも特異な作風だろう。

しかし、全体を眺めると主となる方法は『花束を君に』『二時間だけのバカンス』『ともだち』『真夏の通り雨』『荒野の狼』『人生最高の日』といった楽曲群に見られるように「サビのキメのフレーズが日本語のタイトルコール」なのだ。『Fantome』が馴染まないという人は、ここら辺が引っ掛かっていたのかもしれない。『桜流し』はタイトルコールではないけれど準キメフレーズが英語なのでその点でも人間活動前のヒカルの作風をほんの少しばかり受け継いでいたともいえる。

もっとも、ここまで徹底したのは『Fantome』1枚で、次の『初恋』アルバムでは1曲目から『Play A Love Song』という「日本語歌詞で進行してサビのキメフレーズが英語のタイトルコール」という昔の手法ど真ん中なヤツで切り込んできてた訳でね。もう何作か見ていかないと『Fantome』の位置づけはわかんないかもしんないね。

日本語で進行してサビのキメは英語のリフレイン

英語詞曲と日本語詞曲という分け方をしている/出来るのは宇多田ヒカル名義とUtaDA名義が明確に別れていたからであって、そもそも宇多田ヒカル名義の曲では歌詞が日本語と英語のミックスなんたよね。

大体、日本語曲といっても初期は曲名が英語な歌が大半で、それが今や全曲日本語タイトルのアルバムを発売するまでになったのだから歌詞の変遷は寧ろ曲タイトルの変遷であると言えるかもしれない。

日本語と英語のミックス曲といっても使われ方は明快で、基本的には日本語で曲が進むのだがサビの印象的なリフレインだけ英語、というのがソレだ。例えばファーストアルバムでいえば、『Automatic』『Movin' on without you』『In My Room』『time will tell』『Never Let Go』『Give Me A Reason』が当て嵌る。半分以上だね。『First Love』もタイトルコールではないだけでサビの出だしは英語だ。『甘いワナ』はそもそも日本語タイトル曲』、『Another Chance』はBメロの最後にタイトルコール、『B&C』はサビの最後に『Bonnie & Clydeみたいに』が出てくる。結局はキメの一言は英語ですよという感じ。

では、曲タイトルが総て日本語になった2016年の『Fantome』ではどうなっているのか。

『道』は基本日本語歌詞だが、サビが結局『It's a lonely road.』なので、昔なら『A Lonely Road』みたいなタイトルにするところを日本語に直しただけ、という見方もできる。『俺の彼女』は叙述的な歌詞で、キメのフレーズはフランス語という『ぼくはくま』と同じ手法の楽曲。ヒカルの曲でも特異な作風だろう。

しかし、全体を眺めると主となる方法は『花束を君に』『二時間だけのバカンス』『ともだち』『真夏の通り雨』『荒野の狼』『人生最高の日』といった楽曲群に見られるように「サビのキメのフレーズが日本語のタイトルコール」なのだ。『Fantome』が馴染まないという人は、ここら辺が引っ掛かっていたのかもしれない。『桜流し』はタイトルコールではないけれど準キメフレーズが英語なのでその点でも人間活動前のヒカルの作風をほんの少しばかり受け継いでいたともいえる。

もっとも、ここまで徹底したのは『Fantome』1枚で、次の『初恋』アルバムでは1曲目から『Play A Love Song』という「日本語歌詞で進行してサビのキメフレーズが英語のタイトルコール」という昔の手法ど真ん中なヤツで切り込んできてた訳でね。もう何作か見ていかないと『Fantome』の位置づけはわかんないかもしんないね。

日本で英語曲を歌う可能性

ライブコンサートとしてのクォリティは『WILD LIFE』や『Laughter In The Dark Tour 2018』の方が上だろうが、『In The Flesh 2010』にはそれらには希薄な自由や解放感が漲っていた。ヒカルが何をしてもよかったから。

選曲に制限は無かったし、MCも日本語英語両方だ。各地比率は違えどそれなりに日本から行ったオーディエンスも居たからね。自分もそのうちの一人だったのだけれど。観客の方も、老若男女肌の色人種差別問わず多様だった、という話も飽きる程してきたなー。飽きてないけど。

だから海外でライブを観た方がいい、と言いたい訳でも、ない。そこはもう単にヒカルさんのスタンス次第なのですよと。『In The Flesh 2010』はUtadaとしてのコンサートツアーの筈だった。2005年2月23日のNYショウケースギグもUtadaの曲だけだったしそれで当たり前だったのだ。そこをヒカルが、恐らく、米英のファンの中にはUtadaのみならず宇多田ヒカルにも造形が深い人達がかなりの数居ると踏んだのだろう、英断を下した訳だ。

見方や出資比率にもよるが、ツアーというのはニューアルバムのプロモーションを兼ねている場合もある。レコード会社としては、コンサートによって更にレコード(CDやらダウンロードやら)の売上が伸びる事を期待している。そこで余計な曲(*当時EMIから発売されていた宇多田ヒカル名義の楽曲のこと)を歌われても何の得にもならない。寧ろお財布を奪われるかもしれないだけマイナスである。なのにまぁOKを出してくれてありがとうというか、『In The Flesh 2010』はLIVE Nationの仕切りだったからあんまりレコード会社は噛んでなかったのかもねぇ。そこらへんでこじれて『Utada The Best』の発売に繋がっていったのだとしたら痛し痒しなんだけども。いやそんな根拠の無い推測は要らないぞ? それはいいとして。

つまり、今後ヒカルの判断で、日本でのコンサートでも英語楽曲が増える可能性だってなくはないのである。MCが英語になるケースは……客層次第だろうな。昔代々木にメタリカのコンサートに行ったら白人黒人が多くて戦いた記憶がある。世界中で売れていれば、在日外国人の皆様もコンサートに来たくなるわね。ヒカルも海外で売れたら日本在住の英語圏民が沢山コンサートにやってきて、じゃあMCでもちょっと英語挟んじゃおうっかなとなるかもしれない。総ては流動的だ。

勿論、そうやって『In The Flesh 2010』でファン層を慮って日本語曲を増やしたヒカルさんなので、一方で、日本では英語曲を快く思わない層が一定数居る事も自覚があるだろう。そこらへんのバランスだろうな。人数というより空気と言った方がいいかもしれない。不満を口に出すというのは社会的なものなので、言いにくかったら言わないのだ。それが健全かどうかはさておき、それが問題であるとすらまず思わない所まで持って行ければいいんだけどね。まーそれはかなり難しい。

言葉の壁は厚い。音楽は国境を越えると言いたくなる気持ちはよくわかるがこと日本に関しては半世紀、洋楽のシェアは変わらない。今後ここに変化が表れる事を期待できるのか。やっぱりヒカルの英語曲を聴くには日本を飛び出すしかないのかなとなるのかなー。

あーでも、そうか、少なくとも『Simple And Clean』『Sanctuary』『Don't Think Twice』『Face My Fears (English Version)』に関しては日本じゃ難しいかなー。それなら『光』『Passion』『誓い』『Face My Fears (Japanese Version)』を歌ってくれ、となるもんね。色々とままならねーな。

とすると、10年前の今日現地で『Sanctuary』(半分だけだけど)と『Simple And Clean』を聴けたのはかなりの貴重な体験だったのかもわからないな私な。いやはや、行っとくもんだわ。(煽った)

まぁまだヒカルも36歳。その気ならまだまだツアーが出来る筈。最初から決めつけないで希望を捨てずに参りましょうよ。

In The Flesh 10周年

10年前の今日、『Utada In The Flesh 2010』米英ツアーがハワイホノルルのパイプラインカフェから始まった。当時そこに居合わせた者としては実に感慨深い。あれから10年か。

毎度言っていることをまた繰り返すけれど、普段の『宇多田ヒカル』としての活動は宇多田ひかるさんとしては完全体とはいえない。英語の歌が殆ど含まれていないからだ。そもそも最初の最初にまで遡ればヒカルが曲作りを始めた当初歌詞は英語だった。普段聴いてる音楽が英語の歌だったのだから当然だ。で、その後14歳の時に三宅さんに「日本語で書いてみないか?」と言われて『Never Let Go』を書いた所から『宇多田ヒカル』の歴史はスタートしている。英語の歌は、その前からあったのだ。

故にUtadaとしての制作は英語の歌なのでこちらの方が本来の……と言いたくなる所だったがそうなるまでにヒカルは随分と日本語の歌手として音楽家として成長してしまった。流石にあれだけの名曲を数多生み出しておいて日本語音楽家としてのアイデンティティを無視する訳にもいかなくなった。寧ろそっちがメインとなった。

故に、2010年当時は、日本語音楽家としての宇多田ヒカルと英語音楽家としてのUtadaの各々の活動を入れ代わり立ち代わり或いは並行して進めていくのが自然なのかなと思いかけていた。初のクラブツアーとなる『Utada In The Flesh 2010』もその一環で、英語歌手としての活動だろうというのが事前の予想というか、そのつもりでホノルルまで行ったのだ。英語圏の国で英語の歌を歌って英語のMCを話し、という。

しかし、蓋を開けてみれば、英語の歌は当然として日本語の歌も歌う歌う。『SAKURAドロップス』に『First Love』に『Can You Keep A Secret?』に、更には日本でまだ生で披露したことのなかった『Stay Gold』まで飛び出した。

極めつけだったのは英語歌詞の『Sanctuary』と『Passion』をフュージョンさせた事だった。日本語とも英語とも自在に戯れられるヒカルの真骨頂だった。

即ち『Utada In The Flesh 2010』は、ヒカルの日本語のペルソナと英語のペルソナのうち英語のペルソナの方─片方の活動であるという事前の枠組み予想を覆し、宇多田ヒカルUtadaも分け隔てなく扱う、自由極まりないコンセプトだったのだ。その時初めてヒカルは、26歳にして自分の持っているスペクトルのほぼ総ての帯域を使ってライブコンサートを作り上げたのだった。

故に、ある意味で、10年前の今日2010年1月15日というのは、宇多田ひかるさんが初めて“完全体”として皆の前に現れた記念日でもあったのだ。またこういう日が訪れる事を願って止まないが、果たして、あるとしても、それはいつになるやらだなぁ。

ヒカルさん15歳頃の歌詞構成術

前回最後駆け足過ぎたかな。もちょっとだけ具体的に書いておくか。

『In My Room』に関しては前に述べた通り。

1番サビ2節目:夢も現実も目を閉じれば同じ

1番サビ4節目:ウソもホントウも口を閉じれば同じ

2番サビ2節目:夢も現実も目を閉じれば同じ

2番サビ4節目:ウソもホントウも君がいるなら同じ

3番サビ2節目:夢も現実も目を閉じれば同じ

3番サビ4節目:ウソもホントウも君がいないなら同じ

各々のサビ2節目が同じ『夢も現実も目を閉じれば同じ』であって、これが歌詞の“柱”となっている。

1番サビ4節目が1番サビ2節目と対になり、

2番サビ4節目が1番サビ4節目と对になり、

3番サビ4節目が2番サビ4節目と对になり、

という風に歌詞の配置が非常に構成的・構築的だ。恐らくヒカルの歌詞の中で「組細工」タイプに近いのはこういうのを指すのではあるまいか。

『Movin' on without you』の歌詞も組み立て方がわかりやすい。歌詞の構成がそのまま場面転換・時間推移になっているからだ。

1番出だし:夜中の3時AM 枕元のPHS 鳴るの待ってる バカみたいじゃない

2番出だし:用意したセリフは完璧なのにまた 電波届かない午前4時

1時間経っても結局連絡が来ない・出来ない様を直接描いている。勿論『時計の鐘』『ガラスのハイヒール』でシンデレラの魔法が解けた午前0時以降の物語をである事を示唆した上で、だ。現実と向き合わなきゃいけない深夜の時間帯に1時間逡巡している様を表しておきつつサビに

『いい女演じるのはまだ早すぎるかな』

という見栄と沽券と不安と本音が入り交じったセリフでトドメをさす、という構成になっている。追記しておくと、斯様にAメロで状況を説明してサビで心情を吐露する、というスタイルは『初恋』に至るまでのヒカルの作詞術の伝統でもある。

……あれ? 寄り道し過ぎてるかな。まぁいいや。昔の歌の歌詞の復習をするのもたまには悪くないだろうて。気侭に書いていきましょう。