このままひとつひとつ見て行く。
『十時のお笑い番組
仕事の疲れ癒やしても
一人が少しイヤになるよ
そういうのも大事と思うけど』
『ホントは誰よりハングリー
気持ちの乱れ隠しても
毎朝弱気めな素顔
映す鏡 退治したいよ』
1回目のAメロと2回目のAメロを並べてみた。まず1回目の方は『十時の』と『仕事の』の『の』が同じメロディーの同じ箇所で重なっているというとてもシンプルな韻で始まる。サビスタートの曲とはいえ、取り敢えず導入部の敷居は低い。
次に『癒(い)やしても』と『イヤになるの』の『癒(い)や』と『イヤ』が同じ音だが、今度はそれぞれ異なるメロディーだ。しかも歌い方も両方とも「ィヤ」に近く、「い」の音を小さく発音して合わせてきている。前回紹介した『合わせる韻とズラす韻』が早速Aメロから登場している訳だ。
付言しておくと、『そういうのも』の『の』或いは『のも』もまた『十時の』『仕事の』の『の』と合わせているとみる事も出来る。
この狭い領域での押韻だけでも見事なものだが、ヒカルの真骨頂はこの1回目のAメロが2回目のAメロの伏線として機能している点だ。
まず、『ホントは誰よりハングリー』の『ハングリー』が『十時のお笑い番組』の『番組』と韻を踏んでいる事だ。[ban-gu-mi]と[han-gu-ri]である。ハングリーはだからこの場合日本語のハングリーとみるべきだ。
『疲れ癒やしても』と『乱れ隠しても』もしっかりと韻を踏んでいる。[tsu-ka-re]と[mi-da-re]、[i-ya-shi-te-mo]と[ka-ku-shi-te-mo]だ。
そして、『大事と思うけど』の『大事』と『退治したいよ』の『退治』だ。『だいじ』と『たいじ』。ご覧の通りである。
この、近接した同士の音韻と遠隔の音韻が絡み合っている所がヒカルの作詞の特徴であり、これを踏まえなくては歌詞に登場する単語が何故そこにあるのか、というのが見えてこない。次回はそこらへんの"単語選択"の考察あたりから話をするとしようか。