無意識日記々

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当たり前の事を当たり前に。

PassionPVは、今見ると(いや当時からそう思ってはいたか)随分と予算が少なそうだ。2001〜2002年にかけての、特にFINAL DISTANCEtravelingSAKURAドロップスの3作品がとりわけ豪奢だっただけにどうしても見劣りがする。Be My Lastの結果が影響していたのだろうか。そんなに急に予算て動いちゃう(止まっちゃう)もんなのかなぁ。

でもそれでもこのPVがキリヤン時代の最高傑作のひとつであるという確信は消えない。単純に、シンプルであるが故に焦点が定まっていてわかりやすいのだ。確かに、一部わかりにくい点もある。何故突然最後に馬が出てくるのか、何故その草原に妖怪ウェディングドレス(ヒカルの命名なので文句言わないように)が降り立っているのか、なんともわからない。ここらへんの描写不足を補う必要はあるものの、アニメーションパートと聖域でのパーカッション&ダンスパートはわかりやすい。いずれもサウンドのイメージをそのまま具現化したものだ。そこがポイントである。どういう事かというと、音を消して歌う口元を隠して映像を見せた時、このPVはヒカルのどの曲ですかという問いに対して、いちばん正解率が高そうなのがPassionのPVなのではないか、という事だ。

例えばCan You Keep A Secret?のPVは名作だが、あれは映像だけで既に説得力があり、曲の為の映像かというとそうでもない気がする。AutomaticのPVは有名になりすぎたので想像しにくいかもしれないが、あれを音なしでAutomaticのPVだと判断するのは至難の業だ。いやまぁ大体のPVというのは映画監督の表現欲求が顕現するものだからそれは良し悪し以前の問題なのだが、ことPassionに関しては全体のディレクションが楽曲の為にという意図で統一されているのが美しい。青空に分厚い雲、輝く太陽、そしてSanctuaryに出てくるAngel in flightがアニメーションで表現され、妖怪ウェディングドレス(しつこいようだがヒカルがこう呼んだのだ)が聖域を闊歩する。力強いリズムの視覚化の為に太鼓を叩く絵が延々と連なり、浮遊感溢れるキーボードサウンドがフェアリーたちの前衛的なダンスで表現している。淀みも衒いも躊躇いも紛れもなく、この映像はPassionのPVなのだ。そういう、当たり前
の事を当たり前にしているケースは実に少ない。その美しくシンプルな関係がこの聖なる楽曲で結実してくれたのは我々にとって幸せな過去である。嗚呼、もう七年近く前の話なのです。