無意識日記々

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双方向性生成性

前回の話の要点を纏めると、要は、6,7年前の2ちゃんねるにみられた「言葉のキャッチボールによる生成性」のピークが、そろそろニコニコ動画にもみられてくる時期なのではないか、という事だ。いや、そう書きたかったんだけど書けなかった、んだな。そういう事だったのです。

Webツールはまさに日進月歩で次から次へと新しいものが生まれてゆくが、人間の方は別に生物として昔と変わらないので、ツールを使いこなして新しく面白い事が起こり始めるのに時間が掛かる。いわば、ツールとしての新しさが無くなった頃に、ツールとしての真価が問われるのだ。

Hikaruは音楽家なので、何も奇を衒う必要はない。曲と詞を作って歌うのはもう人間が何万年と共にしてきた営みだ。しかし、そのプロセス…たとえば作曲にコンピューターを使うとか、歌を届けるのにインターネットを経由するとか、そういった事柄に関しては常にツールの変動を無視する事は出来ない。

熊淡はラジオというツールに関しては古典的だが、新しかったのは、収録番組である点を利用して、DJ本人がツイートで内容の案内をした事である。あのツイートのお蔭で、皆歌終わりを聴き逃さずに済んだのだ。ああいった事はもっとやっていっていい。ラジオとTwitterという組み合わせである。

Hikaruについて、今のところ最も新しいツールはUTUBEだ。いやもう3年も前だけども。ここではコメント禁止なので、ファンの交流の場になっていたりはしない。それで判断としては正しいと思うが、どうにも工夫がないと感じてしまうのは贅沢だろうか。低画質だがひととおり代表曲のPVが見られる。それで十分じゃないかと言われれば返す言葉がないのだが、10年以上前の2003年初頭という時期に8000人チャットルーム&ストリーミング生放送でトーク&ライブを敢行した先見性を思い出してしまうと、そこからあんまり大胆に進んでいないなぁと。

今なら、例えばニコニコ動画のシステムを使えば、我々全員がみんなのコメントを(総てではないですが)読みながらストリーミングを楽しむ事が出来る。果たしてライブで歌う時まで字幕が必要かとはなるけれど、トーク部分に関しては字幕コメントが流れた方が盛り上がるだろう。

Wild Life の Ustream でコメントを読みながらストリーミングを楽しんだ人も多いだろうが、あそこには肝心の「双方向性」がなかった。ステージの上のヒカルにとっては、コメント&ツイートなんてあってもなくても何の影響もなかったのだ。

現在のニコニコ生放送では、司会進行役が番組をテレビ同様に進めつつ字幕コメントもしっかり拾ってその場で臨機応変に対応していくのが当たり前になっている。こっちからみると目が4つあるのかと驚いてしまうのだけれど、サービスが始まって5年も経てばみんな慣れたものである。

Hikaruが今後ニコニコ生放送に乗り込む可能性は低いとみるが、UTUBEが生放送に対応する、或いは再びUstreamを活用する、といった話なら有り得るだろう。新しいツールを使いこなして、新しいエンターテインメントの局面を切り開いてみて欲しいものである。いつになるやら、いつも通りわからないけれどね。