無意識日記々

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アールアンドビーがゲシュタルト崩壊する話

「実は本物の方がやる気がない」みたいな書き方を前回はしたが、多分そこらへんを日本人(?)は勘違いしているんだろうなと思う。他分野は知らないが、こと日本の商業音楽市場史上の精神構造的な問題点は、模倣の方しか評価されない、いや出来ない事にある。そもそも、本物の生まれてくる過程を知らないのである。

まず間違い無く、LED ZEPPELINが日本に誕生しても誰も評価出来なかっただろう。音楽だけでなく、評判まで輸入して初めて、この国の市場は動き出す。

何故、宇多田ヒカルのような「本物」が評価されたか。これは、未だに私も全く理解出来ない最大のテーマの一つなのだが、考えるに、大きく分けて2つある。一つは、出てきた途端に完成度が異常に高かった事。14〜15歳にして、本物として生まれてくる過程の途中ではなく、既に他の大人達も太刀打ち出来ない、年齢など全く関係なく音楽の質が高かったのだ。まぁこれに異論を挟む人は居ないだろう。

もう一つは、まるで矛盾した言い方になるが、まだヒカルがオリジナルなアーティストとして完成されていなかった事、だ。ヒカルの音楽的な金字塔はまず2002年の「DEEP RIVER」アルバムであり、その前はまだ未熟である。しかし、だからこそ"付け入る隙があった"とも言えるのだ。それがR&Bへのカテゴライズであった。

これは、歴史の偶然と言っていいかもしれない。もしヒカルが「DEEP RIVER」でデビューしていたら、あんなに売れなかっただろう。クォリティーの話ではない。あんな作品を、どう売り出せばいいかわからなかったのではないか、と仮想するものである。その実例が「EXODUS」で、何を思ったかエルトン・ジョンが名を挙げて評価を与える程の作品であったのに、当時のレーベルは完全にプロモーションを諦めていた。「匙を投げた」と言ってもいい。

ヒカルのデビューは違ったのだ。折しも、1998年は日本でもR&Bの人気が出始めたかな?という時期。今振り返ると、MISIAのデビューは本当に大きかったと思う。つまり、機運があったのだ当時。話のポイントはここである。「R&B」というジャンルは(一応若いファンに向けて言っておくが、R&Bという音楽は甘酔でヒカルが言っていたような"リズム&ブルーズ"とはもうかなり別物である。確かに言葉としてのR&Bはリズム&ブルーズの略なのだが、違うのだ)、既に欧米で評価されていた。ここが大きい。ただ音楽を輸入するだけでなく、そのジャンルのイメージも一緒に輸入するのが日本流だ。98年頃には、R&Bはカッコいいというイメージが出来つつあった。そこに宇多田ヒカルが乗っかったのである。

何故そんな事になったかといえば、そう、ヒカルにサウンド・メイキングに対する明確なコンセプトがなかったからなのだ。だからこそ、周りを固めたアレンジャー達は、当時流行っていたR&Bのサウンドを少しばかり取り入れた。実際の調合配分は重要ではない。R&B云々というイメージをつけて売り出せるだけの色づけがあればよかった。三宅Pによれば、R&Bをやっているつもりはなかったというから、売り出すと言ってもレコード会社の戦略ではなかったようだが。

つまり、本物のミュージシャンが本物として未完成であったが故に、そこに「似せもの」を紛れ込ませる隙があった。そして、日本人(?)は本質的に、そっちの似せものの方しか(アプリオリには)評価出来ない。評判ごと輸入する必要があった。そうやって、本物がちょっとした似せもの感を纏う事で売れまくったのがこの「First Love」アルバムなのだ、と思いながら豪華盤の4枚組を聴いてみれば、ちょっと違った感じに聞こえてくるかもしれない。そして、すっかり本当の本物になってしまった宇多田ヒカルの現在の感覚で振り返るインタビューの中身にも、より共感を覚えられるのではないだろうか。