無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

LuvLive02 time will tell

15年前の今日、大阪は梅田HEAT BEATで宇多田ヒカルがデビューライブを行った。記念すべき日である。この度Fl15に収録されているのは翌日4月2日のZepp Tokyoでのライブだが、初日の音声は当時FM802で放送されたらしい。詳しい話はなかたにさんに訊けば答えてくれるだろうから(笑)、彼女に任せておこうかな。

という訳でそのLuv Live in Tokyo、続いては2曲目のtime will tellだ。

このライブ・テイクを聴いて思いを強くしたのは、寧ろ如何にこの曲のスタジオ・バージョンが特別で特殊であるかという事だ。この後幾つか同曲のライブバージョンを幾つか我々は耳にする事になるが、歌い方のアプローチはスタジオバージョンよりこのLuv Liveで聴ける歌い方の方を踏襲している。というか、そのライブでの歌い方の方が総合的にみた時に、よりオーソドックスな"宇多田ヒカルらしい"歌い方をしているといえる。スタジオバージョンのtime will tellの歌い方がとりわけ特殊なのだ。

スタジオバージョンのtime will tellのヒカルの歌声は、妙に幼くて、かなり淡々と歌っている印象だ。勿論エモーショナルで繊細な歌い回しは其処彼処で聴かれるが、声を張り上げるという事が殆ど無い。そして、ここで感じる"幼さ"というのは、ヒカル独特の、お母さん譲りともいえる低音域で"ドスの効いた"声の出し方が殆ど聴かれない所から来ている。

今までずっと、time will tellでのヒカルの歌い方が幼く無垢でそれでいて妙に達観した所があるように聞こえるのは、レコーディングの最初期にこのテイクが録音されたからだと思っていた。First Loveアルバムはヒカルが14歳の秋から16歳の誕生日付近までかけてレコーディングされたものだ。思春期の女性が一年以上かけて歌を記録すれば、大人よりずっと著しく成長や声質の変化が記録されていくだろうから、time will tellがこんななのは、ヒカルがいちばん幼い頃に録ったからだろう、と。

しかし、アルバムで次に続くNever Let Goがその解釈に待ったをかける。三宅Pが今回暴露した通り、Never Let Goのスタジオバージョンは、オーディションのものそのまんまだそうだ。つまり、録音時期としてはダントツに早い筈なんだが、この時既にヒカルは、上で述べた"宇多田ヒカルらしいオーソドックスな"歌い方をしている。つまり、time will tellのスタジオバージョンは、「何故だかこういう風に歌おうと思った上で」パフォーマンスされているという事だ。

そして、この歌い方はここでしか聴けない。あクマで、ライブでは「いつものヒカルの歌い方」で歌っているから、言ってみれば他の曲と並んで繋げて歌ったとしても違和感がない。これはこれでいいのだ。


謎が深まった、というべきなのか何なのか。この曲の、じっと見開いた目で優しく素直に諭すように淡々と綴られる歌い方は、このLuv Liveでの"普通の歌い方"と並べて聴いて較べる事でより際立ってその特殊さをアピールしてくる。この曲をヒカルがどう捉えていたか…それを解く鍵は、このライブバージョンでのフェイクの方法論にあるとみる。次回へ続く。…多分w