無意識日記々

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宇多田ヒカルは宇多田ヒカルのファンなの?

まぁ話は単純で、「宇多田ヒカルは普段の生活で宇多田ヒカルというブランドを消費しているか」という事だ。ズバリ、Noだろう。

人の仕事は様々だ。自分の作り出した売り出した商品やサービスを普段から消費する人としない人と。カップヌードルを作っている人は普段から食べているかもしれないし、まだ一度も食べた事がないかもしれない。医者として患者を治している人は、当然の事ながら自分による治療サービスを受けた事がない。いや、怪我をした時の応急処置をしたとか、自分の為に胃腸薬を処方したりするかもしれない。養豚を生業にしている人も案外毎日晩御飯が豚肉かもしれない。兎に角様々である。

従って、ヒカルがヒカルの音楽を普段全然聴かないからといってそれがどうという事はない。プロとして顧客を満足させられていればそれでよいだろう。

いや、音楽はヒカルによってプロだアマだとかいう区別を超えた生きていく中での必然的な営みだ…というのが私の本音なのだがこう毎日暑いのにそんな暑苦しい話をする気にもなれないので今回は省略しよう。

もう少しドライな方向で考えてみようか。マーケティングという面でみれば、宇多田ヒカルの歌をどんな時に聴きたくなるか、買いたくなるか、それによってどんな効果があるか、それを肌で感じ取っているかどうかで大分違う。先程カップヌードルの話をしたが、あれは美味しければいいという問題ではない。食べる時のシチュエーションや人に与える印象や値段やイメージや食べ合わせやデザインや何から何まで、実際に消費する人たちをリサーチして、或いは時には想像して、商品を作っている。ならば、普段からカップヌードルを消費している人が開発や製作に携わるのはかなりの場合アドバンテージがある。リサーチをしなくても、自分が欲しい味と値段を追究すればいい。勿論、それが"偏った顧客"である可能性はいつもあるのだけれど。

ヒカルは、自分の歌がどう聴かれているか、メールなどでリサーチするだろう。或いは想像をはたらかせるだろう。しかし、自分自身が宇多田ヒカルブランドの消費者として実際に"それがどんな感じがするか"を知らないのである。言わば、普段の彼女の生活には宇多田ヒカルは居ないのである。

それは歌手なのだから、有名人なのだから当然だろうと思う事なかれ。皆さん明石家さんまをご存知だろう。彼は家に帰ってから自分の番組の録画を見て「うわ〜さんちゃんやっぱりおもろいわ〜!」と楽しんでいるらしい。勿論仕事の出来映えのチェックという意味合いもあるだろうけれど、明石家さんま明石家さんまのファンであり消費者なのだ。その感覚。彼は、テレビに明石家さんまがどう映っているかを熟知しているし、彼の番組を観た時にどう楽しいかをよくよく知っている。想像ではなく、自らの実体験として経験しているのである。

性格もある、かもしれない。自分の姿を見るのが恥ずかしいとか、シャイな性格。でも、ヒカルに関していえばそれは誤解だ。彼女は自分自身に対するプロデューサー/ディレクターだから、自らを客観視する術に長けている。恥ずかしいとか、言わずに居る事も可能な筈だ。

「プロだからそれで構わない」と敢えてもう一度言おう。言った上でたたみかけよう、「自分が買いたいと思わないモノを皆に売っているのか?」と。大きなお世話だよ全く。買った人が満足していればそれでいいじゃないかと。それはそうなのだが、宇多田ヒカルっていうブランドは、そこまでストイックにプロフェッショナルに徹する事を求められているっけ? いや、何か違うだろう。

もうひとつ、こちらの都合で重大な問題がある。作り手自身が消費者でない場合、長期休暇をとった後に復帰する為の大きな動機のひとつ、「そろそろ宇多田ヒカルの新曲が聴きたいなぁ」という感情が生まれてこないのである。自分自身が自らのファンである場合、休むのに飽きるのより、「ファンとしての飢え」が先に来る場合もあるかもしれない。明石家さんまは60歳で引退しようかなどと言っているらしいが(ほんまかいな)、もし仮に彼が引退して暇になってテレビをつけた時に「さんちゃんの番組が観たいなぁ」と思うのは他ならぬ彼自身だろう。彼が引退するのは、だから、彼がさんまファンとしてテレビを観ている時におもろいと感じられなくなった時なんじゃないかなと。

なんか話が歪に膨らんだ気がするが、ヒカルがヒカル自身のファンであれば、そもそもそんなに休んでいる気分にならないのである。普段の生活の中で、宇多田ヒカルの歌を聴いているのであれば。そこが、今はない。それはそれでヒカルのスタイルだから何の問題もないのだが、復活の理由が「私が私の新曲を聴きたくなったから」だと、なんだろう、我々は気楽だ。何故なら、それがただのワガママだから。もし、「ファンからの復帰要望が多かったので」が理由だったら「すまんのぉ、我々の為に…もっとあんたは休んでいたかったのかもしれへんのに」と申し訳ない気分になるだろうな…ってこの前もそう書いた気がするけど。ま、取り敢えず今までのヒカルはそんな感じではなかったので、今回の話は思考実験に留まりそうだわいさ。うん。