無意識日記々

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体質って何だろうね

業界を引っ張る、というのはシンガーソングライター系には余り見られる発想でもない。ない訳じゃないけど、基本が個人芸で一世一代というのが大きいか。母体がグループだと、それは最初から複数の人間によるコンセプチュアル・プロジェクトだから、人も集まるし集められる。体質の違い、という奴か。

例えば、オジー・オズボーン(彼はソロ・シンガーだ)はOzzfestを開催して若手にチャンスを与えている。そこでチャンスを掴んだSLIPKOTは、今やKNOTFESと称して自分たちが若手にチャンスを掴む場を提供している。こうやってシーンは循環を続けて成長していく。

本来個人芸、一世一代のものである筈の、例えば落語家などは名を継ぐ事によって継承の概念を具現化している、という話は前にもした通り。しかしヒカルの場合殆ど本名なので、直接名を継ぐとしても我が子の場合だけだろうか。血が繋がってるかどうかは関係なく。そういや歌手が名前を継ぐってコロムビア・ローズとか居たな。何歳なんだ俺は。確か3代目が現役じゃなかったっけ…。それはそれとして。

兎も角、そういう意味では、当初敢えて藤圭子の娘である事を主張しなかったのは象徴的だ。音楽的にマーケットがかけ離れていた、というのがいちばん大きかったのだろうが、これだけ色々似ていたら、何て言うんだろう、作られた断絶っていうのは一体どこから来たのかと考えたくなるな。

藤圭子が演歌の世界にどっぷりハマっていて、子が歌上手かったらやっぱり演歌歌手としてデビューしていたかな。そうならなかったのは、藤に演歌へのこだわりがなかったから、なのか。他のジャンル歌いようがない声質なんだが。照實さんと出会ってNYでヒカルを産み、という流れは、彼女の望む生き方に沿ったものだと思っておく。さすれば、宇多田ヒカル藤圭子から切り離した…距離を置いたのは母の望みだったとも受け取れる。うーん、この話どこかのインタビューでしていなかったっけか。忘れた。

各世代には各世代毎の音楽性というものがある。オジーオズボーンとスリップノットでは随分違う。しかし、同じステージに立てない程でもない。宇多田ヒカル藤圭子が同じステージに立てる場所があったとすれば…嗚呼、紅白歌合戦くらいだっただろうな。Music Stationにも演歌の花道にも、片方しか出演出来ないだろう。今更言っても仕方のない事だけど。

逆からいえば、紅白歌合戦から距離を置いていた2人(藤は出場しとるけどな)なのだから、それは業界の中心から距離を置いていたに等しく、即ちやっぱり業界を牽引するかどうかといった発想からは距離があると言わざるを得ない。あれだけ売れておいて行き場がなく、行き場がないのに一番である。変な家族。ホント、次の代も見てみたいよ。歌手やっかどうか知んないけどさ。