無意識日記々

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ドアのあと

「扉」のモチーフについて。

ヒカルの歌詞には「扉」が出てくるケースが幾つかある。順番に見ていこう。


"幸せになろう"ではこんな具合。

『何度も同じ扉の前に辿り着いては
 ノックしかけたんだけど
 君が手を貸してくれたなら』

"誰かの願いが叶うころ"ではこの調子。

『あなたへ続くドアが音もなく消えた』

こちらは扉でなくドアだが。
そして"This Is Love"ではこうなる。

『閉ざされた扉開ける呪文
 Oh 今度こそあなたに聞こえるといいな』


こうして羅列してみると、ヒカルの歌の中での『扉/ドア』とは、未来への期待や希望を示唆しているだろう事が読み取れる。

"幸せになろう"ではまだ開けた事のない扉をこれから開けてみようという感じ。未来に向けての第一歩を踏み出す瞬間だ。

それが、"誰かの願いが叶うころ"では、扉が閉まって開かないどころか、ドアごと消えてしまう。まだドアがそこに見えていればそれを何とか開けようともがけるところだがそれすらも叶わない。絶望から諦観へ、かな。

一転、"This Is Love"では扉が復活する。まだ扉は閉ざされたままだが、呪文さえ唱えられればまた未来への展望が開けるかもしれないという期待を抱かせている。


今の3曲で特徴的なのは、いずれもモチーフの中に"音"が含まれている点だ。"幸せになろう"では、扉を開ける前にノックの音が鳴り響く場面を想像させる。"誰かの願いが叶うころ"では『音もなく』ドアが消える。"This Is Love"では呪文が『あなたにも聞こえるといいな』と歌う。呪符に書かれた呪文ではなく、口で唱える呪文が想定されている。まぁ「開けゴマ」みたいなヤツなんだろう。

これらの"音"のモチーフで表現されているのは"これから起こる事への予兆"だ。ノックの音はまるで輝ける未来へのカウントダウンだが、それが"誰かの願いが叶うころ"においては『音もなく』即ち何の予兆もなく消え去る。"This Is Love"ではそれを、自ら発する呪文の"音(声)"でこじ開けようと試みる。或いは自分で唱えなくとも自然と聞こえてくるものなのかもしれないが。



歌詞の中で未来を表現する『扉/ドア』のモチーフと、予兆を表現する音の数々の組み合わせ。その時々でヒカルが未来をどう捉え、何を予兆として感じ取っていたかが伺い知れるテーマである。まぁどれも今は昔の話ばかりなのですけれどもね。