無意識日記々

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先陣を切る重鎮

あとからUTUBEに上がっているPVを見たら陽水はサングラスの奥に瞳を光らせてる、なんて事はなくてメガネの奥はリラックスして笑っていた。いやっはっは。

でも、そちらの方が導入としてはやりやすい。今回先行配信された4曲は、いずれを聴いてもそれぞれの理由で制作期間の短さを感じさせた。沖田さんが無茶なオファーを振った、というよりも、皆現役絶賛活動中なのでこういうエクストラな企画にそこまで時間を作れなかった、という感じではなかろうか。

井上陽水のテイクも、アレンジにそこまで時間をかけてはいない。サウンドは極々オーソドックスなサルサ風の味付けで、例えば最近のコンピューターならSAKURAドロップスのメロディーを入力して"サルサ風"のボタンをひとつ押すだけで大体これと似た音が得られるだろう。それくらいオーソドックスだ。これなら、セオリー通りのアレンジを組み立てていくだけなので全体の作業量は簡素化されているだろう。

しかし、それを実践するには、相当にこの手のサウンドに手馴れた人材を集めなければならない。キャリアがバカ長く人脈も豊富で、更に彼らと長年やってきている井上陽水だからこそ作り上げられたサウンドだ。そのこなれ具合は、周りを気にせず陽水に歌に集中できるよう促している。

陽水がここまでSAKURAドロップスのメロディーと詞とその組み合わせを理解しているのは驚異的だが、だからといって彼がこの歌を細部まで研究したとは思わない。ヒカルの作詞術は非常にロジカルな行為で、1つ々々の音節の由来を理詰めで追っていく事が可能だが、その為その分析には随分と時間がかかる。無意識日記でも毎度そうだもんね。

でも多分陽水は違っていて。一回ざっとSAKURAドロップスを聴いたあと「ヒカルちゃん、いいね〜いいよ〜」とでも言いながらその時点で歌唱の青写真は出来上がっていたんじゃなかろうか。それでPVのあの笑顔である。録音する時点で既に「SAKURドロップスを陽水色に染め上げる作業」は完成していたのだろう。恐るべし。いや、かといってPVの映像が実際にリリースされたテイクなのかはわかんないんだけどね。

しかし、すんごい能力である。自身に出来る事と出来ない事を見極め、世間での宇多田ヒカルのイメージと井上陽水の距離感を測定し、短い制作期間の中でたちどころに落としどころを見つけ出す。出来る芸当ではない。これがベテランというものか。リスナーのイメージは兎も角、これで宇多うたアルバムは、一曲目に井上陽水を据える事でアルバムとしての全体像を得るに至った。こういう仕事をする人を「重鎮」と呼ぶのだろうなぁ。このカバーを聴いた後なら大抵のカバーバージョンのへんてこ具合は許せるんじゃあないだろうか。先陣を切る重鎮。デビュー45周年は伊達ではなかった。