無意識日記々

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「ザ・パブリック・メッセージ」

浜崎あゆみの"Movin' on without you"は「」ザ・パブリック・メッセージ」だ。

2曲目の椎名林檎嬢によるLettersは文字通りの"私信"であり「プライベート・メッセージ」であった。そういえばSWITCH誌上で2人のSMSのやり取りが公開されていたが、あの仲睦まじさを参照するまでもなく、2人はプライベートでも交流があり、私好みの言い方をすれば2人ともがお互いの「思い人」「思われ人」である。

一方、宇多田ヒカル浜崎あゆみの間には個人的な交流はない(筈)。テレビで共演する時にお喋りをしたりもするし、あゆはカラオケでHikkiを歌うなんて発言もあったが、そもそも気が合うかどうかを知れる段階まで深くは付き合っていないだろう。

しかし、邦楽の歴史上はこの2人、20世紀末から21世紀初頭にかけての最重要人物で、2人して書初動売上枚数世界一を記録しているのだから因縁浅からぬ"仲"なのだ、世間的には。

その前提を以てこのテイクを聴いた時の感慨には独特のものがある。確かに、真っ当な音楽の楽しみ方ではないかもしれない。特定の文脈、しかも13年以上前の事を覚えている人にとっては感慨をもたらす、というのは随分と限定的である。

しかしそこが、前に「ヒカルのオリジナルアルバムより幅広い聴き方、楽しみ方の出来るアルバム」と本作を評した要なのである。そこは、この序盤の曲順も効果的に機能している。

2曲目にプライベートなメッセージを送る椎名林檎嬢、3曲目は、恐らく本作で最も宇多田ヒカルという人物に対して興味が無かった、ある意味で最もフラット、最も中立的な人選であったろう岡村靖幸、そして4曲目に今度は「世間的に最もセットで語られる事の多かった人物」である浜崎あゆみ嬢が来る、という非常にコントラストのハッキリした流れである。カバーをやるという行為にはここまで広いスペクトルのモチベーションが有り得るのだと思わず嘆息してしまった。

しかも、この曲順になった事で、我々が最も慣れ親しんだ流れ、1stアルバム冒頭の"Automatic"〜"Movin' on without you"の鉄壁の流れが再現されているというのだから話がうまく出来過ぎている。もっとも、我々が本当に慣れ親しんでいるのはオートマの哀愁からむびのんのギターが切り込んでくるインパクト抜群のスリリングさであって、今回のアレンジではそれが再現されている訳ではないのだが。

そんな事を考えながら聴いていたら、やっぱりあの頃の物凄い熱狂ぶりが思い出される。トラックの出来のよさを云々する前にその"歴史"の厚みで圧倒する。やはりこの人選は特別である。