無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

SHIROBAKOの悪弊

次の曲も桜流しみたいな"遠慮しない"曲だと私は至極嬉しいのだが、バランスというものを考えてしまうのは、私にとって"ヒカル以前ヒカル以後"で最も変わった点であり、また、だからこそCan't Wait 'Til Christmasのような曲も(もしかしたら、書き言葉の上では、作った本人以上に)躊躇い無く絶賛出来るようになり、大袈裟だが"人生の幅が広がった"気がする。わかりやすく、皆に広く浅く愛されるような曲はそれだけで素晴らしい。

私のようなタイプは、本来80年代のGENESISを捕まえて「何がInvisible Touchだコラ」と難癖をつけ「ロンリーハートなんて認めない」とあの頃のYESを貶さなければならないのだが、結局そうはならなかった。「コレはコレで」と言えるように、なっている。

いい意味でか悪い意味でかはわからないが、こだわりがないのだ。後はつまりヒカルがしっかり仕事をしたかどうかという話になる。


最近、なんだかそれに拍車を掛ける事態がある。「SHIROBAKO」という深夜アニメがあって、現在2クールめ絶賛放映中なのだが、これが「アニメの制作現場を題材にしたアニメ作品」なのだ。アニメファンは勿論、寧ろアニメに興味の無い人にこそ観て欲しい気がするが、このアニメの何が悪いって、どんなアニメを観ても「みんな頑張って作ってるんだなぁ」という感想しか出てこなくなった事だ。

本来、アニメなんて作品毎に「これは面白い、こっちはつまらない、あっちはてんでダメ」という風に残酷なまでにどんどん作品を切り捨てていかないと視聴が追い付かないのだが、この「SHIROBAKO」を観て以来、内容如何にかかわらず制作者たちの苦労ばかり想像してしまう。そして、どの作品に対しても「納期に間に合って凄い。1クール作り切るだなんてなんてタフな」と賞賛したい気持ちになってしまう為、今季は観始めた作品がなかなか切れていかなくて困っているのだ私。(苦笑)

いやでも実際、あんなデカいプロジェクト(一話作るのに1200万位だっけか。確かに、5000枚位円盤売らないとペイしないわな)の中にそれぞれのクリエイティビティを封じ込めて納期に間に合わせるって凄い。やっぱり、内容がどうのという前に「きちっと作ってきちっと出してきちっと晒して声を貰う」というサイクルを成り立たせてる時点で「大人ってすげぇなぁ」と思う。何もしないより遥かに偉大だ。そんな気分になってるもんだからどんな"クソアニメ"も愛おしく感じてしまう。なんだか、危なっかしい(笑)。

勿論その影響はアニメにとどまらず、漫画だろうが映画だろうが音楽だろうが、プロジェクトを立ち上げてまとめて納期に間に合わせて創作物をリリースするという営み全体に対してのリスペクトが底上げされてしまった。SHIROBAKO恐るべし。あとみゃーもり可愛い。アンジュと並んでこの秋冬私の二大ヒロインだな。うむ。それはいいとして。


ミュージシャンだったら、休んでていいんだろうか、と考えてしまった、のもまた、事実なのだわ、そういうリスペクトがUPした一方で。

ヒカルの場合、「作詞作曲」という"根っこ"の部分を捻り出す存在な為、ぶっちゃけ出てこない時は出てこない。音楽というのは、学校で学べば(と軽く言うがこれはとても大変な事だ)、"○○風"とか"△▽みたいな"とかそういう曲も理詰めで書けるようになる。そういう作曲を得意とする皆さんは大量生産や納期厳守を得意とするところだが、ヒカルに求められているのは何かに似ている音楽ではない。オリジナルの、"そこから始まる"音楽である。言ってしまえば、それは、生まれてくるまでヒカルにだってどうしようもない。かくれんぼから出てきてくれた時にうまく捕まえられるか、が大事だ。


そういった事情を十全に斟酌してなお、どんな人であれ、どんな作品であれ「作って出す」を現在目下している人たちに較べて、ヒカルは"負けて"いるなぁ、とどうしても思ってしまう。過去の遺産が余りにも素晴らしく、本人が何もしなくても「宇多田ヒカルのうた」のような名盤を生み出す原動力になってしまうような、いわばもう資産の利子だけで財団運営できちゃうよ的な、アルフレッド・ノーベルみたいな位置どりを、創作刺激上で取れてしまっている宇多田ヒカルだから、社会的にはもうコレ以上何も付け加えなくても「十二分にやった人」と言えると思う。のだが。ヒカルは今日も1人の人として生きていて、相変わらず最近新しい曲を出していない。今作ってる?知ってる。でも偉いのは、納期を守って人目に晒されるところまで行く事だ。ヒカルなら造作もないだろう。しかしこれは、出来るか出来ないかではなく、今やっているかやっていないかだ。だから、何となく私は悔しい。新しい1日を生きていくというのは、そういう事だと、思うから。