無意識日記々

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各年度末回顧

年度末となると、昔は様々なリリースがあったなぁと感慨深くなる。今思えば、FIRST LOVEアルバムが3月10日発売だったのは、まだヒカルがレコード会社の主力と思われていなかったからなんだわな。それも当然の話で、アルバム制作が終わる1月中旬時点ではAutomatic/time will tellが売り出し中の新人で、リリース・デートを遅らせれる立場にはなかった。2月に入る頃には話題沸騰、Movin' on without youを初登場1位に送り込むのだが、流石にそこまでの盛り上がりを事前に予測するのは無理だった。年度末の主力リリースなんて半年前、いや1年前から決まっていてそこから逆算してプロモーション活動を行う訳なので、ヒカルがその立場に立つのは2001年の事になる。

「Distance」アルバムが発売になったのもこの時期だ。浜崎あゆみとの売上対決は記憶に新しい…いや、もう14年前だから新しい訳ないんだけど、印象が鮮烈という意味で記憶に残っている。CDの売上が頂点に達したのは市場的には1998年だが、2001年のあの時が、人々が売上に一喜一憂したピークだった気がする。もしかしたら、「なんだ、1stの半分しか売れてないじゃん」と理不尽な落胆を投げかけられていたのかもしれない。

他にも、2002年の「光」の発売や2003年の「20代はイケイケ!」、2004年の「Single Collection Vol.1」、2008年の「HEART STATION」アルバムなど、年度末に発売されたものは多い。それだけ大きな売上を見込まれていたのだろう。特に2004年のシンコレ1は、英国本社EMIのプレスリリースに、2003年度の売上に貢献する作品の1つとして半年前から期待されていたのが印象深い。その時点ではまだそのアルバムがシングル・コレクションになるかどうかの明記はなかった為、「ま、まさかオリジナル・アルバムってこたぁないよね!?」と訝ったものだ。当時はUniversal Music傘下で「EXODUS」制作真っ最中。EMIからのリリースがあるとすればLIVE盤かコンピレーションしかない状況だったのだが、後にHikaruはほぼ同時進行で二枚のアルバムの制作に取り組み、2008年3月に「HEART STATION」アルバム、2009年3月に「点」「線」「This Is The On
e」の連続リリースを行うなどリリース・ラッシュを見せつけた。

今にして思えば完全にオーバー・ワークだったのだが、次に復帰する時は今度こそ体調管理には気をつけて貰いたいものだ。もう年度末にエースとして駆り出される事も、ないかもしれないからね。Universal Musicは、それくらい大きな会社なのですよ、えぇ。