無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

大編成の話

先月デビューしたキマシ・ワシントンの、間違えた、カマシ・ワシントンのアルバムの曲が凄まじ過ぎて唖然としている。まだ全然全部聴けていないのだがデビューアルバムが自主制作盤で3枚組3時間てどういう事やねん。サックスプレイヤーなのだが、これ、ジャズというよりどちらかといえばプログレなんでないの。1曲目から10人編成のバンド+20人の混声合唱団+30人のオーケストラという大編成でかましてくれている。にしても一体誰が金出したんだこれ。

こういう事に制作費を使うってんならまぁわからなくもない、しかし、ライブで再現出来るチャンスは限られてくるよね、というのが最近の話の流れですわね。

そういえば、「楽曲提供」ってどこが予算を出しているのか知らないや。Kingdom Heartsシリーズなんかゲームの開発費から資金提供あったりしないのか。どんな契約内容で制作に取りかかっているのだろう。ゲームに合ったサウンドの為に60人編成が必要になります、と言った際に誰が決断を下すのやら。

という訳で先日照實さんがファンからのKHシリーズについての毎度のツッコミを軽くいなしていたが、前に勘違いで誤った憶測を流布した為殊更慎重のようだ。にしても不思議な距離感である。

これが劇伴担当者なら、ゲームの詳細を説明してもらって打ち合わせをし、という風に半ば開発チームの一員として関わっていく事になると思うのだけど、主題歌の提供となると妙な距離感が出てくる。たしか、“光”の時はヒカルが殆どゲームの内容を知らされておらず、なのにゲーム内の使用場面では完璧なフィットを見せ多くのゲーマーたちを感動させた―というのを聞いてヒカルがいちばん驚いていた、なんていう話もあったが、オープニング・テーマやエンディング・テーマのような、若干作中と距離があっても許されるというか、そういうこともあるよねという共通認識が出来ているケースは、やっぱりゲーム開発や映画制作の一部というよりは、“楽曲提供”というカタチのよそよそしい距離感で制作が行われているようにも感じられる。

特にヒカルはそういう場合、自分で作る事にこだわりを見せてきただろうから、「大きなプロジェクトの一員として働く」みたいな事を音楽制作の局面では体験した事がないかもしれない。宇多田ヒカルが劇伴担当のゲームなり映画なりがあったらかなりの話題性はあるだろうが、多くのファンは「そんな暇あるんだったら新しい歌を聴かせておくれよ」というのが本音だろうし、レコード会社としてもそっちの方がいいだろうから、無いだろうね。ヒカルが「ビッグ・プロジェクトの一員として働く」という事態は。