無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

クラスタ横断と対クラスタ接触

昔から宇多田ヒカルのファン層は、あるクラスタから集中的に現れてくるような事はなく、既存のどのクラスタからも脈絡無くピックアップされて集合体を作ってきている。その為、宇多田ヒカル以外の関心については見事にバラバラである。例えば「矢沢永吉のファンだから皮ジャン来てそう」とか「X JAPANのファンだからメイクしてそう」とか、真偽の程は兎も角そういった"イメージ"すら持たれない。強いていえば「やや大人しい」くらいが統一したイメージだが、それって単なる小市民という気がしなくもない。

ただ、そういった傾向が2015年の今も継続しているかどうかはよくわからない。Twitterをメインに見ていると、クラスタを横断するのが基本だからだ。この開放的なシステムは、日本の2ちゃんねるの閉鎖的な、各クラスタどころか各話題についてすら細分化された世界と対照的だ。

そういう意味では、Twitter以後のフィーリングはヒカルに有利、ともいえる。後は集約するだけだからだ。それはまぁそうなのだが、本来ベテランのアーティストというのは、確固としたファンベースに新しいファンが少しずつくっついていくのが常道だった。しかしヒカルの場合、常にその度ファンベースを"再編"しながら前に進んでいく為、ベテランの称号は足枷になりかねない。ここを切り抜けるのがプロモーションのポイントとなる。

踏み込んでいえば、EVAやKHが世代交代の中で古びれていくか拡大していくかを横目で見ながら進んでいかなければいけない、という事だ。どちらにせよ最後まで付き合っていく訳だから、固定的なクラスタをファンベースとしてもつタイアップ先に対しての距離感を考えてプロモーションしなければならない。ヴィジュアルイメージをどこまで共有するか、歌詞はどこまでシンクロさせるか。

…まぁ、大体今まで通りのスタンスで大丈夫か。特に直す必要はないな。ヒカルはそういうところまで見えているのかもしれない。