無意識日記々

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聴かせる"設え"

SCv2のいちばんの"失敗"は、しかし、勿論売上云々ではないだろう。新曲5曲を入れた事だ。

我々は嬉しかった。しかし、曲にとってはよかったのだろうか。シングル・コレクションという名称はついているが、世間的には"ベスト・アルバム"として認識されているだろう。となれば、新曲が何曲か収録されているからといってもなかなかシリアスに捉えて貰えない。既にシングル曲の音源を持っていて改めてシングル・コレクションを買う必要を感じていない人たちを釣る為の"付録"みたいなもんだろう、という風に思われても仕方ない。

実際は違っていた。Goodbye Happinessはコンサートの1曲目だったしCan't Wait 'Til Christmasはアンコール曲だった。Show Me Loveのバンド・サウンドは宇多田史上最高峰だし愛のアンセムでの歌唱が絶賛を浴びた事はあの驚嘆を伴った大歓声をその場で聴いた人たちにとっては火を見るより明らかな事実だった。そしてそして、嵐の女神は真のラスト・ソングだった。もう完全にSCv2の新曲たちは「最新アルバムのシングル曲たち」として扱われていた。踏み込んで言えば、日本語英語どちらの曲も歌えて無敵だったIn The Fleshから僅か10ヶ月で開催されるWILD LIFEのイチ押し、ハイライトだったのだ。その夜の主役と言っていい。

これらの事実は熱心に追っていたファン、SCv2を買い、WILD LIFEのBD/DVDを買って鑑賞した人たちには伝わっているだろうが、そうでない人たちには伝わっていない。

幾ら曲がよかろうが、聴く前の"設え"というものは重要である。送り手は聴き手に対して「今から貴方が聴く音楽は凄いですよ」と暗示をかけるくらいでなくてはならない。

実際、アナログ・レコード時代はニュー・アルバムを迎える気概が違った。レコードショップから後生大事にアナログレコードを持ち帰る。でかくて重い上にすぐひんまがるから丁重に扱わなくてはならない。取り出す時も大変だ。指紋をつけないように、埃がつかないようにソッと取り出し静かにターン・テーブルに置く。必要とあらばレコードブラシで表面の塵芥を取り除く。そして部屋のソファーを音楽位置に移動し防音の戸締まりをし(時には居留守を使い)万感の思いを込めて盤に針を落とすのである。音楽は期待されていたのだ。

今時そこまでしろとは言わないが、SCv2d2の5曲がもし付録と誤解されないような設えの中で発表されていたなら、とは誰しも一度は考えていたのではないか。7月から5ヶ月連続でシングルが発売され、それらに伴うプロモーションが行われ、ヒカルばバンバンテレビに出て歌い、機が熟しきったところでそのシングル曲5曲をフィーチャーしたSCv2が発売されWILD LIFEを迎える…という流れだったら、新曲たちの印象は大分違っていた筈である。オリジナル・アルバムをすっ飛ばしてシングル・コレクションに収録されてしまうのも面白かったろう。現実にはとてもそんな時間は無かったのでこれはどうしようもない夢物語に過ぎないのだが、今後は別である。反省は活かせる。

やはり曲を過小評価しない事だ。シングル曲として通用する曲は総てシングル曲として出す。CDを出せという意味ではない。「これが宇多田の新曲だ」というプロモーションを曲毎にして欲しいという事だ。何だったら80年代のマイケル・ジャクソンやDEF LEPARDのように、一枚のアルバムから8曲も9曲もシングル・カットしてしまえばいい。なんだか、勿体無いのよ。


あ、ただ、アルバムがコンセプト・アルバムだった場合はこの限りではありませんが。

例えばEXODUSにはシングルカットされていない名曲がまだまだあった。いちばん好きだというHotel Lobbyは? Kremlin Duskは? アメリカでいちばん売れそうだったLet Me Give You My Loveは? About Meはスタンダード・ナンバーになる可能性もあった。つくづく、もったいない。

最終的にはHikaruの好きにすればいいのだが、やっぱり貧乏性な私はそういう風に考えてしまうのでした。ちゃんちゃん。