無意識日記々

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蒔いた種を育てさせて刈り取る

ここ2、3ヶ月の福原愛のプレイぶりには(一度ツアー初戦負けがあったとはいえ)目を見張るものがある。様々な改良が加えられているのが手に取るようにわかるが、中でも目を引くのは伊藤美誠を参考にしたショットが多数見られる事だ。伊藤といえばフォア裏バック表のいわば「福原愛スタイルの後継者」だが、そんな愛すべき後輩からも学ぶ愛ちゃんは強くなる事に対して謙虚かつ貪欲だなぁと思った。

この、「自ら先達として刺激を与えた後輩が築いたスタイルを自らに取り込む」スタイルを私は昔から“JUDAS PRIEST症候群”と呼んでいる。JUDAS PRIESTは、ファッションも含めヘヴィメタルというジャンルの様式を確立した真の先駆者、まぁ日本の漫画家界で例えるなら手塚治虫ポジションのバンドだが、彼らに影響を受けてメタルをプレイする後輩たち、LAメタルスラッシュメタルといった(80年代当時)新しい音楽性もすかさず貪欲に取り入れて自らの楽曲に反映させていった。いわば、自分で蒔いた種を後輩たちに育てさせて自分たちで刈り取るような真似をして見せ続けた訳だ。ここらへんも、晩年になっても若手漫画家たちにライバル意識を燃やし続けた手塚治虫に共通する所がなくもない。

斯様にして、先駆者と呼ばれる人たちの中にも、ただ先頭を走り続けるだけではなく、種々の影響を取り入れる事を厭わず、結果として、過去の自らと外の世界との相互作用すら今の自分に帰ってくるようなケースがままある。


Hikaruの場合、そういうケースは出てくるだろうか。例えば宇多うたアルバム、加藤ミリヤのカバーを聴いて思うところはなかったのだろうか。それが、今後の作風に影響する事はないだろうか。

ここが、ちょいと難しい所で。Hikaruの音楽性には型が無い為、そもそも継承自体が難しい。したがって、宇多田ヒカルから影響を受けましたと言っても、歌い方をそのまま真似しました、というディテールか、或いは、憧れて歌手になろうと思いました的な、凄く一般的な範囲の話になるかの両極端しか起こり得ず、そのちょうど中間の、似てたり似ていなかったりの曖昧な境界線から新しいものが生まれてくるメカニズムがはたらきにくい。Hikaruの音楽的遺伝子は継承されづらい、いや、そもそも遺伝子というメタファー自体あてはまらない。

とはいえ、これは嘆く程の事でもない。Hikaru自身、母から影響を受けたのは「歌う事」そのものであって細かい音楽性については、少なくとも彼女たちのリリースされた音源を比較する限り、殆ど継承されていない。声色や喋り方が似ているのはまた別のレベルの話だろう。これはこれでいいのだ。そして、ここではメタファーでない正真正銘の遺伝子が引き継がれている。何も言い添える事はない。

でもまぁ、ちょっぴり寂しい、とは言い添えておくかな。Hikaruはちょっと完璧過ぎて、先輩後輩や仲間と補い合うという関係性が必要ないのだ。それが魅力である、という事がね、そのほんのちょっぴりなのである。