無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

pod & broad cast

宇多うたアルバムのプロモーションでも使われていたARとかいう技術、あれ生放送でも使えたりしないのだろうか。独特の透過技術で、カメラ付きガジェットを翳すと3Dオブジェクトや映像が画面に映し出される。それとクロマキー(ってすんごい昔の技術だが、簡易だからか未だに使われとるな)を合わせれば、まるでそこでヒカルが喋って歌っているような絵が得られるなぁ、とぼんやり考えた。ずっとスマホかざしてると腕疲れそうだけどなっ。

20代はイケイケから12年が経っているが、その間の生中継の進歩は一昔前の"12年"という感覚からは程遠い程速い。スマホでもフルHDが当たり前になってきていて、いつ何時でも高画質、そりゃメイクに気合いを入れなきゃならなくなるだろうて。

私は疎いが、プリクラから写メール、更に今の動画撮影に至るまでの流れがメイクやファッションに与えた影響って誰か研究してないの? そういうのって若い子考えないのかな。まぁその話題は膨らまないので置いておいて。

誰でも気軽に動画を撮影・生中継出来る土台が整った為、逆にプロの撮影技術や編集技術、リポーターの話術など、プロの技が見直されていく気がする。それっぽいものを作りたかったら、相応の投資が必要なのだと。

2つに別れる。やっぱりプロっぽくしたいというのと、あれ、じゃあ別にそういうプロっぽさ要らないじゃん、というのと。用途と目的次第だろう。

ヒカルが次にどちらのアプローチをとってくるかは結構わからない。「手作り感」というのはかなり重視されていて、「点」「線」の出版は装丁から流通確保から総て手をかけた。20代はイケイケ!もひとり喋りで自由な配信、という面もある一方、乗用車をプレゼントとして放出するなどゴールデンタイムの地上波番組並みの予算も匂わせた(ちょっと大袈裟)。

どちらもできる。だから読めない。そもそも映像配信自体まだあるかどうかわからないし。いちいちメイキャップさんやスタイリストさんを呼ばなきゃいけないのが映像配信の面倒なところで。音声配信なら声だけでいいんだけど。衣擦れの音がしない服来てくりゃいいんだし。

Kuma Power Hourは総て自前で1時間の音声を編集していたという事で、いわば公共の電波を乗っ取った音声配信だった訳だが、一方で公共の電波側は著作権包括契約を提供する事で音楽トラックの放送を可能にした、なんだかんだで連携プレーである。

つまり、今後は、旧システムと新システムのいいとこ取りをしながら進んでいくのではと考える。どちらか一方、という事はない筈だ。その具体的な方法論についてはまたいつかの機会に考えてみたい。