無意識日記々

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賞味期限の過ぎた後の恋の味

少し前に、日本の高校生は他国の高校生に較べて恋愛や交際に消極的だという調査結果を目にした。詳細や妥当性については知らないが、もしそうだとしたら、なるほど、J-popが廃れた理由がわかるかもしれない。ラブソングが流行らないのだ。

大体J-popはラブソングが主体だった。後半になると応援歌とか謝歌(やたらとありがとうとか言うヤツ)が増えていたが。日常生活で何かドラマティックな事が起こるのなら部活動か恋愛か、というのが中高生の生活だろうから、歌に恋愛の要素を求めるのは必然だったか。

その恋愛に興味を持たれないのならラブソングなんぞ売れないだろう。J-popがラブソング以外も歌えれば事態は違ったかもしれないが、そうはならなかった。

PCとスマートフォン、そしてインターネットは恋愛コンテンツ周辺を劇的に変えた。恋愛ドラマを書く脚本家が「携帯電話のせいですれ違いが描き難くなり、ストーリーを進めるのが難しくなった」と言っていたような気がしたが、確かに、すぐに手元でやりとりできる装置があると、もどかしさや切なさを描くのは難しくなるだろう。

それとこれとは関係ない、と言ってしまえばそれまでだが、そうやってラブソングの存在意義が失われていく中でJ-popに取り組むのは本当に難しい。


ヒカルもまた、ラブソングを主体に書いてきた人間である。若い層が恋愛交際に無関心となると、違った歌詞にしなければ響かなくなる。それを考慮に入れるべきかどうか。

素直になればよい。かもしれない。今度は、家族愛を歌うのである。それなら、何の無理もない。自然だ。ヒカルは思うままに歌詞を綴ればいい。インターネットが普及しても家族愛のあり方にはそんなに変化は訪れていない。寧ろより強固になったのかな。家族割とかあるし(それはどうなの)。何より、今のヒカルには必然性がある。10代に「もっと恋をしようよ!」と説教をするよりよっぽどナチュラルなのではないか。

まぁ、根本的な事をいえば、ラブソングしか書けないのがよくないのですか。それを言っても今更ですかね。今やもうJ-popは演歌勢と大体同じようなポジションにあるのだから、固定化されたコンテンツとして"伝統芸"を引き継いでいってくれればよい、という考え方も出来るのだ。後は、ヒカルがそこにどれだけ乗っかっていくか、だな。R&Rが年寄りの音楽になったのと同様、J-popも又年寄りの音楽になってゆくだろう。