無意識日記々

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異分子のペース配分

ペースの話。

先週「8年ぶり」を連呼してみた。宣伝としてはどちらをとるのが有利なのか、つまり、「こんなにブランクがあったんだよ!レアだよ!」とアピールすべきなのか、それとも「桜流し以来3年ぶり!」という風にして現役感を出す方がいいのか、結構わからない。どっちだろうねぇ。

先週発売になった中島みゆきのニューアルバムは41枚目のオリジナル・アルバムなんだそうな。誤字じゃないよ、よんじゅういちまいめ、なんだってさ(←これ、去年もやったんだっけか?)。目が回るわ。そういう人も居る。デビュー以来殆ど毎年オリジナル・アルバムを出しているそうな。多作なんてもんじゃない。もうここまで来るとレアでも何でもなく、風物詩。無いと変に感じるもの、だ。強烈な現役感である。漫画でいえば「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、テレビ番組だと「徹子の部屋」みたいな、“あって当たり前”のポジションである。

ヒカルにはマイ・ペースでいて欲しい。質と量、クォリティーとクォンティティーのバランスはいつ何時でも悩ましいが、ヒカルには「ここまでの完成度が出ないと曲じゃない」というラインがある。非常に高い所に設定されている。それはもういわば感覚の最たるもので、ヒカル自身には判断は明白だがその基準の明快な説明は出来ない。しかし、曲が出来上がれば"その時だとわかる"のだ。

既に100曲以上世に送り出しているのだからもうその"基準"は揺るがない。そして、そこに至る為に最低限必要な事は何であるか知っているし、それにはそれ相応の時間が掛かる事も知っている。Apple And Cinnamonのようにあっという間にそのレベルに達する(寧ろ、そう生まれた)ものもあるにはあるけれど。

となると、もし作曲能力が衰えたとしてヒカルに訪れるのは"ペース・ダウン"或いは引退である。望むべくレベルに達するまでに作業時間が掛かる、或いは、幾ら手間暇かけても永遠に辿り着けない、というケースである。

今のヒカルは、将来そうなるかもしれない可能性を察知して、そうなる前に手を打った状態だ、という事も出来る、のかな。それとも、何ら不安が無いからこそ、今のうちに違ったスキルを身に付けておこうと思ったのか。桜流しを聴く限りでは後者だ。

ヒカルがオリジナルアルバムを41作も作る可能性は、今や殆ど無い。これから30枚毎年作っても還暦を過ぎる。嗚呼、悪くはないし、そうなったらそうなったで楽しもうか。それはそれとして、寡作との印象を、暫くは持たれる。ファンの方は違っていて、最後の印象は2008年にHEART STATION、2009年にThis Is The One、2010年に新曲5曲のSingle Collection Vol.2と、「最後に3年連続アルバムをリリースした人」である。ここだけとれば、中島さんに近い。

でもやっぱりトータルで考えるべきだし、ペースが落ちていく可能性も覚えておくべきだろう。それは自然な事であり、加速するのは異常な事だ。いや、嬉しい異常なので全滴飲み干しますけどね。


とはいえ、契約に恵まれている事だけは踏まえておきたい。普通は41年続かないが(多分まだ彼女だけだろう)、大抵は1年に1枚アルバムを出す契約を結ぶ。ヒカルが特別枠を獲得するのに何の異論もないが、「Popsを聴く習慣」を維持してくれているのは、そうやって毎年アルバムを出している連中の集合なのだ。感謝まではしなくてもいいかもしれないが、そういう構造で消費社会が支えられている事を踏まえれば、無期限契約のヒカルは、リリースした時にそれ相応のクォリティーと結果を出す事が求められる。

と言ってもこれは「レコード会社の話法」での話でしかなく、アーティストの方はただアルバムを作るだけだ。それらを束ね、毎週毎月毎年目玉を作って売るのはレコード会社の仕事だ。ヒカルとそういう契約を結んだ以上、彼らが結果を出さなくてはいけない。裏を返せば、ヒカルに結果を出してもらう為の最良の方法が無期限契約なのだともいえる。人それぞれにペースがある。マイ・ペースがいちばんだ。まだまだ慌てる様な時間じゃない。