無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

I will show no mercy for U.

あらあら、ミュージックヴォイスがEMIレーベルに取材してくれたそうな。それによると報知の記事は、内容の真偽は兎も角「まだ復帰の時期や方法は決まっていない」という事らしい。「なぁんだ」とリアクションしておこうか。

ふむ、これで今夜の0時を謎テンションで迎える必要は無くなった訳だ。何だか気楽である。

しかしそれにしても。アクシデントとはいえこれはかなりいい流れなのではないか。というのも、報知のフライング記事が無ければ、我々は今夜眠い目を擦りながら、或いは明日早朝夜明け前に起床して新発情報に待機していた筈で、それはもう我々が完全に自分たちの思い込みで待ち構えているだけなのに、そこから「何もしてこないレーベル」に対して勝手に落胆していたのだ。これは、両者にとって何もよくない。誰も悪くないのに。

そこに、12月8日早朝という不意打ちの時間帯で新情報が来てその日のうちに否定された。内容については、恐らく、EMIの事だから否定も肯定もせず、だったろうが、我々は勝手に具体的な期待が出来るようになった。「あー楽しみですね」と。これで、来春何もなくても「だからレーベルは未定って言ってたでしょ」と納得できるし仮に来春復帰なら「やっぱりそうだったんだ!」と喜べる。今日1日のやりとりで僕らの期待が一旦整理された感があり、なんだかスッキリしているのではないか。これ、本当は誰か仕組んでたんじゃないの、ファンが12月9日に何かあるはずだってさんざ騒ぎ立てるもんだからそれを諫める為に。だとしたらこれ考えたヤツアタマよすぎるけどね。


私はといえば…そうだな、報知の記事を読んだ時に、いつもヒカルからの新情報を受け取る時の「脳の組み換え」が起こらなかったから、そんなに興奮はしていなかったとみえる。“マイペース”と書いたのは”だからって変わらないよ“という意味だったのだが、いやまぁ、確かに何も変わらない。

桜流し」という3文字を初めて見た時、自分の脳が一斉に一定の方向に組み変わっていくのを感じて驚いた。映画の方向性や楽曲の気合い、価値、感情、ヒカル。総てに対して「そういうことだったのか」という納得とともに自己を現実に対してアジャストしていった。それはタイトルを見ただけ、曲を聴く前、PVもまだ観ていない時点の話だ。有り体にいえば「3文字で総てを悟った」と言った所か。ヒカルの“渾身の表現”は必ずや私たちの心を動かし、世界の風景を変えて見せてくれるだろう。たとえ世界が全く変わっていなくても、だ。

その瞬間を待ち望んでいるから、それが今でなければいつでも同じだ。何年でも待つし、1分も待っていられない。それが「今でない」、それだけでもどかしい。ならば、その時間の過ごし方を心得よと。それだけの話なのだ。


しかし、ヒカル、ここまで期待のハードルを上げておいてよいのか。もう大体私の気分は全盛期のThe BeatlesPink FloydやLed Zepplinがニューアルバムを出すのを待ち構えている時と変わらないのだ。余程のクォリティーでないとテンションが下がる。いいんだろうか本当に。今あげた3つは総てグループで、4,5人で寄って集って作るから1人くらい創造的に不調な人が居ても何とかなるが、ヒカルは自分が不調だったらそれまでだ。その違いは大きい…のに、楽しそうなヒカルを想像すると「そりゃあ、やってくれるか。」と思ってしまう。私もずるい男だよ。

売れるか売れないか、タイアップがどうのといった話題も勿論取り上げるが、それはあクマで傍流の話。聴いて、それだけ。それ以上のキャパシティは、無い。その時に感じたままに振る舞おう。ヒカル相手に容赦なんかする訳もないのだから!