無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ゴシップ,スキップ,Run, Ran, Learn.

そういえば先日、週刊誌に事実誤認な記事が載ったそうな。普段私はそういうのは「あ、そう。」と言ってスルーしてしまう。いちいち怒るだけのエネルギーを使いたくないし、ただの嘘ならWeb上に幾らでも転がっていて珍しくもないからだ。

しかし、本来ならこんな態度ではいけない。世の多くの人が、週刊誌の記事には真実があるのではないかと訝るのだから、否定すべき点は否定し、訂正すべき箇所あればしっかり発言をして、中立的であったり、ニュートラルであったりする人たちをこちら側に引き込まなければならない。

完全に無関心な人の心をこちらに向けるのは大変難しい。逆に、悪口と嘘しか書かない人を正すのもまた大変難しい。そういう難易度の高い相手は一旦諦めて、何とかなりそうな人たちの心を動かさなければならない。

ヒカルについて知らない人であれば、「照實さんとヒカルは何年も絶縁状態」と聞くと信じてしまう。彼らは、ヒカルの作品の最も多くで彼の名前がプロデューサーとしてクレジットされている事を知らない。三宅さんやヒカルよりもクレジットの回数が多いのだ。宇多田ヒカルのプロデュースといえば第一人者は宇多田照實であって、次に三宅彰と宇多田ヒカルが来る。我々にとっては一般常識だが一般の人たちにとっては一般常識ではない。しっかり声を上げなくてはならないだろう。

勿論、絶縁状態などではない。ヒカルがロンドンに居る事が多くなっただけである。と言っても、確かに、ヒカルと照實さんは別々の家から同じスタジオに出勤してくるので、親子と思うと少々不思議な感じはしなくもないのだが、別に別々の家に住んでたって何の問題もない。

2人はとても仲がいい。勿論照實さんはヒカルを溺愛している。頼まれてもいないのに、娘がイタリアでイタリア人と結婚式を挙げるからと何ヶ月もかけてイタリア語を勉強し当日イタリア語で嫁の父の挨拶をスピーチしたというのだからその溺愛ぶりたるや。この状態を絶縁と呼ぶのであればそれば電気を通さないとか全く別の意味なんじゃないの、と突っ込みたくもなる。


…っとと、何の説明もなく“反論”を繰り広げてしまった。そういう記事が掲載されていたんですよ、というのは、でも、何となく雰囲気で伝わったんじゃないかな。

2人の仲がいいか悪いかは主観で決める事だが、例えば上記のエピソードを聞いた上でそれでも仲が悪いと強弁できる人はどれくらい居るだろう。更に、プロデューサーについての記述は単なる事実誤認であり、よくもまぁこれを編集部/編集長が通したなというか。

こういうのにめくじらを立てているとあっという間に日が暮れる。大事なのは、あまり感情的にならず、しっかりとエピソードを持ってきて的外れである事が誰の目にも明らかになるように淡々と“反論”する事だ。殊更に貶したり見下したりしては寧ろあちらの思うツボである。今年はこれからこういった記事が何回出てくるかわからない。読者諸氏におかれましては、冷静に対処する事を望みたい所存ですよと。