無意識日記々

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Flavor Of Her Life

ヒカルの味覚が「エピソード依存」な点は特筆に値する。なぜか、純粋な味の評価をしない。

テレビでハンバーグをDisった時は「バラバラにした肉を何でわざわざもう一度くっつけるのか意味がわからない」という謎の理由だった。言いたい事はわかるが、いやわからないか(笑)、それが食べ物を嫌う理由になる訳がない。第一、挽き肉をDisるんだったら宇多田家のソウルフードである餃子はどうなるんだ。照實さんの二つ名はSkingg(酢キング)、圭子さんの二つ名はRah(太陽神…かと思いきやラー油だそうな)なのである。ってかそもそもあんた十代の頃マクドナルド利用しとったやんか…。

他にも、ショートケーキに向かって「大っ嫌い」と破顔一笑で叫んだりもしてたが、これも味が甘過ぎるからとかではなさそうだ。ハンバーグにせよケーキにせよ、こどもの頃にきっと何かあったのだろうと私などはつい思ってしまう。普通食べ物の好き嫌いは味が由来なのにそういう話に行かないのだから。

ヒカルの納豆好きはつとに有名だが、私はこれもまたエピソード由来の好みなのだと思っている。以前、納豆について、「冷蔵庫を開ける」→「容器を取り出して蓋を開ける」→「調味料をかけたらもう食べられる」という点がとてもよかったのではないかと指摘した事がある。お腹を空かせたこどもにとって、お皿の用意すら要らず容器入りですぐに食べられる納豆は有り難くて仕方がなかったのではないか。つまり、ヒカルの納豆好きは感謝の念が強いんじゃないかという気がしている。

彼女の冷蔵庫に対する感覚は独特だ。例のリンゴツイートもそうだし、そもそも歌詞で『冷蔵庫の中は何度覗いても同じ返事 聴き慣れた返事』と歌っている。人によっては、冷蔵庫の扉とは「今日は何が入っているだろう」とワクワクしながら開けるものだったりするのだが、ヒカルにとってはいつも素っ気ない存在なのだ。

そういえばとびっこに対する執着もあったな。あれも何故そこまで偏愛するのかピンと来なかったがとびっこにまつわる楽しくて幸せなエピソードがあったりしたとしたらちょっとだけ納得がいく。ヒカルはこういうのを嫌がるだろうが敢えて例を出してみると「両親が大喧嘩して仲直りして食べに出掛けたのが寿司屋で親子三人で一緒につついたのがとびっこだった」みたいな事だ。食べ物の好き嫌いがエピソードと繋がっているのはそういう事である。

そんなヒカルに「今まで食べた中でいちばん美味しいものは何だった?」と一度くらい訊いてみたいものだ。松浦さん今度訊いてくんねーかな。私は前に書いた通り今は「水」って答えちゃいそうだけど、もしヒカルの食べ物の好き嫌いが味覚よりエピソードに依拠しているというのなら、少し似た事を言いそうな気もしている。

長年料理下手だったが徐々に慣れてきた光。人間活動中に新たに手に入れたスキルといえばこれではなかろうか。でも結局、だからといって美味しさを追究するのではなく、「誰かと食べるのが美味しい」とか「作ってあげたい」とか、そっちに行ってるんじゃないかな、なんて知った風なクチを叩いているが人の親になった今はまた食と味覚に関しても新たな展開が表れているに違いない。またテレビなんかで食べ物ネタをふってもらって欲しいものである。