無意識日記々

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本当のいいとこどりとは何なのか

暫く前にマクドナルドが新メニューの名前を公募して話題となった。結局、なんだっけ、忘れた(笑)。北のいいとこがどーの、牛っととかいうダジャレがどーのという名前だった。ネーミングのセンス以前に注文しにくいのは致命的な気がする。

まぁそれはいいんだわ。しかし流石にマクドナルドというべきか、ネーミングの応募総数は500万通を超えたそうな。凄い。「Distance」の総売上枚数より上だなんて。「First Love」アルバムや“Flavor Of Life”の売上よりは下だが…って、うわ、やっぱ宇多田ヒカルってすげーんだな。

で。プレスリリースによるとマクドナルドは新メニューの名前を「悩みに悩んだ結果」決定したらしい。500万通もあったらそりゃあ悩むよねぇ、と言いたいところだが、私はそれは大きな間違いであったと思う。悩むべき場所を完全に間違っている。

名前である。ぱっと見た瞬間に、聴いた途端に「おっ」と思える、ピンと来るのが大切だ。聴いた瞬間に覚えるとか、何度も口に出して言いたくなるとか、そういったあからさまなわかりやすさこそが至高。幾つかの案を目の前にしてあーでもないこーでもない、と言っている時点で目の前にある候補は全部没にすべきだ。

悩むべきは、本来は、アイデアを捻り出す時間帯である。あーでもないこーでもないと、新しい名前を生み出す過程では大いに悩み苦しめばよい。それこそが産みの苦しみだ。

しかし今回は、公募で名付けると決まっているのだ。候補は総て出揃っている。産みの苦しみなんて無い。ただひたすら候補に目を通して目に止まったものを残し続け、トーナメント方式でも勝ち抜き戦でもいいから、ひたすらいいと直感で思える方を選んでいけばいい名前が勝ち残る。それでも甲乙つけ難いのであれば最後はくじ引きで決めればよい。もしランダムで決めて不服が残るようであればそんなものは最終候補ではない。どれを選んでも素晴らしいからこそ甲乙つけ難いと言えるのである。じゃないんならただ単にそれは候補たちに決め手が欠けているだけだ。全没である。

或いは、悩みに悩んだからこれはいい結論だとでも言い張りたいのだろうか。んなわきゃあるか。

音楽でもそうである。手間暇かけたとか苦労したとかは、曲の出来に関係が無い。それどころか寧ろ、苦労とかをしない方がいい曲に繋がるとすら言えるかもしれない。

ZABADAKの「ひと」というアルバムに12分にも及ぶ“水の行方”という名曲がある。歌は後半に副次的に出てくるだけで基本的には器楽曲なのだが、そのメロディーと展開の美しさたるや。まさに「淀み無く次から次へと」という感じで滑らかに楽想が連なっていく。これはさぞスムーズに作曲が進んだのだろうと想像し、実際に作曲された吉良知彦さんにその旨をうかがったところ「そうです」との返答。曲展開の通り、淀み無く楽曲が組み上がっていったそうな。そういうところって音に出ちゃうんだな。


Hikaruの曲で最もスムーズに出来た曲といえば“Apple And Cinnamon”ではないか。確かインタビューで2時間くらいで出来たとか言ってた気がする…って当時翻訳してた当人の記憶があやふやじゃあ仕方がない。でも、曲を聴けばそのインタビューがなくとも「これは一気に書き上げたんだろうな」と思わせるほどに、メロディーラインの美しさがピュアである。もうこれしかない、というラインを何の迷いも躊躇いもなく進んでいく。Hikaru本人もきっと、「あぁこれは来たな」と思ったに違いない。

ここなのだ。メロディーは思いついてしまえば、それが美しければそれ以上こねくり回す必要がない。思いつくまでの試行錯誤と苦労と苦悩は大変必要である。それが大半の局面だ。しかし、もし何の苦労もなく思いつけてしまった時には遠慮しちゃいかん。「これだ」と思って一気に書き上げてしまえ。そうして出来た“Apple And Cinnamon”は、まるで昔からのスタンダード・ナンバーであるかのような佇まいを持つ名曲に仕上がった。

しかし、一気に書き上げた弊害もあったのよね…という話からまた次回。