無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

気にしてるようなしてないような

新しいアー写がいつになるのかといえば、やはり4月4日が有力なのだが、ヴィジュアル・イメージについてのアプローチって、音楽に対する信頼感に較べれば、比較的危ういと感じさせるかもしれない。

年齢的にも境遇的にも、「もう見た目で売る事もないでしょ」と考えてしまっても不思議ではない。その昔の奥田民生みたいな事になる(いや、彼の場合はあれでよかったんだけどね)。デーモン小暮閣下のように、若い頃のヴィジュアルイメージを頑なに守る(素顔、ですけどねアレは)人も居る訳だし、ちょっとどうなるか想像もつかない。

寧ろ、いちばんヴィジュアルイメージを気にしていなかったのはデビュー当時だ。Addicted To Youの時に初めて、曲調に合わせたファッションとメイクで登場して…騒ぎになった。何だったんだろうね、アレは。

以後は、宇多田ヒカルのイメージというより、曲のイメージ、アルバムのイメージに合わせてヴィジュアルを変化させてきた、と言っていい。と言っても、特に常にコンセプチュアルであった訳でもないので、何となくというか、大体そっちの路線で、みたいな雰囲気もあったのだけれど。

初心にかえって、「何も考えてないヴィジュアル」で来るのも一つの手だ。いや16歳当時何も考えてなかった訳じゃない、結果的にそう見えてましたよという意味ですが。まずは歌を聴いてください、見た目は気にしません、というのも取れるスタンスのひとつだろう。プロデューサー業に忙しくてとてもそっちまで手が回らなかった!という実務的な理由もありえる。

一方、例えばtravelingのように、ミュージック・ビデオで強烈なキャラクターを演じてしまうと、どうしたってそれで行かざるを得ない、という事情も出てくる。ミラクルひかるが当初トラベの衣装に身を包んでいたのも、恐らく、パッと見で「宇多田ヒカルだ!」と言える格好がそれしかなかったせいでもあるだろう。なお、ヒカルはトラベ発売当時テレビ出演は果たしていない。はたして、仮にヒカルが新曲としてテレビでトラベを歌おうとなった際に、一体どんな格好で来てただろうかと無かったけどあったかもしれなかった過去を妄想して楽しんでしまう。ミラクルひかると同じ格好を…? いやいや、幾ら何でもそれはない、か。

即ちこの話は、「ミュージックビデオはどうなっているだろう?」という疑問に繋がる。スマートフォンでアクセス出来てしまう以上、新曲を出しておきながらYouTubeに動画や音源をアップロードしないのはプロモーションとして(今時は)有り得ない。必ず、何らかの方法をとってくる筈である。とするともう撮影は終わって編集に取りかかっているかも…?

4月4日に無理に合わせる事はない。最初はAudio Only或いはLyric Videoでご機嫌を伺ってもいいだろう。だが、ベターな結果を狙うなら音の解禁と絵の解禁は同時がいい。今のようにタイトルだけ発表して曲調をファンに想像させるのもいいけれど、やはり考える暇を与える事無く「これでどうだ」と作品を提示した方がインパクトは強い。まとめてドン!である。

例えばLADY GAGAのような奇抜な期待はされていない。寧ろ、ナチュラルに帰ってきて「変わらんなぁ」と言われる方がファンの受けはいいかもしれない。安心してくださいよ、“あの”宇多田ヒカルが帰ってきますよという訳だ。

一方で新しい世代に対しては何らかのインパクトがあった方がいい。先入観がなかったり、或いはあってもやたら偏っていたりと、事前の情報量が少ないのが新世代。なんかCDとかいうものをいちばん売った人らしい、という所から踏み込んで貰う為には、ヴィジュアルイメージをしっかりつけて「こんな人!」「興味わいた!」みたいなリズムで引き込んでいきたいものだ。

宇多田ヒカル、33歳の春。バツイチ再婚一児の母。一体今どんな人になっているのか。この点だけでも十分にみものであるだろうな。