無意識日記々

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繰り返し、繰り返し。

真夏の通り雨』のラストの部分、『ずっと止まない止まない雨に ずっと癒えない癒えない渇き』。ここを聴いた時にやはりSAKURAドロップスの『好きで好きでどうしようもない それとこれとは関係ない』を思い出した人も多いだろう。

ともに楽曲の最終盤で、同じく一定のフレーズを何度も繰り返している事から連想がはたらくのだが、何より、その淡々とした、まるで念仏を唱えるかのような歌い方(とエフェクト)が特徴的なのが共通している。しかも、両方とも、本来ならば声高に叫びたいような内容を、だ。

『好きで好きでどうしようもない』という、行き場のない程の激情。『ずっと止まない止まない雨』に示される終わりのない悲しみ。主人公は、叫びたくて叫びたくて仕方のない感情を、押し殺すよりも突き放す。特に、『真夏の通り雨』では、土砂降りの雨を前に茫然と立ち尽くすような効果を齎している。『立ち尽くす見送り人の影』そのままの情景が描写されている。

有り体にいえば、不気味だ。いっそ泣き叫んでくれた方が安心する。精神を病んだかのような諦念。焦点の合わない両眼。虚ろな表情。出口を見失い、しかしさまよってすらいない。そんな情景を描くのに、この抑揚を抑えた歌唱はうってつけである。その境地に来てしまった事自体は、また別の話だが。

終始この歌い方、ならまだわかる。パイセンの場合、ソウルフルで抑揚の大きい歌唱を披露した挙げ句だから余計に効果的なのだ。しかもそれをエンディングに持ってきて無限ループフェイドアウトにするものだからその「救いようの無さ」は半端では収まらない。最大限の慟哭の表現である。

『好きで好きで』『止まない止まない』『癒えない癒えない』と、同じ言葉を直接二回繰り返している所も効果的だ。それが更に何度も繰り返される。リピートの二重構造。『SAKURAドロップス』の方では『どうしようもない』と『関係ない』がしっかり韻を踏んでいる。『真夏の通り雨』の『雨に』と『渇き』もそうだ。二節の冒頭もそれぞれ『ずっと』が重なっている。徹底して、繰り返し、繰り返し。ここまでして印象に残らない訳が無い。

手法は似通っているが、どん底に叩き落とすという意味で、『真夏の通り雨』は昔に較べてパワーアップしている。歌唱力が上がり、更に抑揚の振り幅が増した事も拍車を掛けている。聴き比べれば、その成長の度合いは実感できると思うが如何だろうか。