無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

歌詞を読むコチラの息が切れかねぬ

改めて踏まえておきたいのは、『桜流し』が2012年の作品であるという事だ。余りに『真夏の通り雨』が続編としてスムーズにその位置を占めている(2曲を続けて聴けば実感できるだろう)為どうにも、そのまま聴くと、『桜流し』まで母へのレクイエムであるかのように錯覚してしまう。圭子さんが亡くなったのは2013年だ。『桜流し』はそれより前である。

裏を返せば、つまり、『真夏の通り雨』は母への歌にとどまらない事が明らかである。『桜流し』から続く、普遍的な、大切な人を喪う慟哭を歌った歌。もっと言ってしまえば、ここに「母への」という枕詞をつけるのは“我々の勝手”なのである。

確かに、歌詞を眺めてみてもこれが「母と娘の歌」と解釈できる節はない。ただひとつ、ここだけは引っ掛かるが。

『勝てぬ戦に息切らし
 あなたに身を焦がした日々』

ここをどう解釈するか、である。ここだけ妙に特殊なのだ。亡くした人と、何か争ったり競ったりがあるかないかでいえば、ない事も多いような。

しかし、ここがこの歌でのヒカルのいちばんのお気に入りらしい。理由を紐解けば「音韻がうまくハマった」とかだったりする可能性もあるが、言いたい事を過不足無く伝えられたという手応えが、そう言わせているように思える。

宇多田ヒカル藤圭子の物語だとみれば話はわかりやすい。同じ歌手として、越えられない壁。偉大な母。それでいて、いつも恋い焦がれている。まさに、2人の関係がそのまま歌われている、とみる事が出来る。

そこから『忘れちゃったら私じゃなくなる』という宣言。母を追い競おうとした人生こそが自らのアイデンティティを形成しているという自覚だ。

だからこそ、次の『教えて 正しいサヨナラの仕方を』が身につまされる。サヨナラしなくてはいけないのは、母であると共に、自らの生き方とも、なのだ。もう、追うべき姿は無い。かつての姿を想定して、という道も有り得ようが、それこそまさに幻でしかない。「これからどうやって生きていけばいいのか、わからない」。ヒカルにとっては、生きる核を喪ったに等しかった。だからこそ『降り止まぬ 真夏の通り雨』と歌わねばならなかったのだ。誰しも、母を喪えば悲しいが、日々と共に元の生活に戻れてゆく。しかしヒカルは、全く戻れなかったのだ。母と共に、戻るべき人生をも失ってしまったのだから…


…と、こう解釈するのが、「宇多田ヒカル藤圭子のバックグラウンドストーリーを知っている」者のやり方だろう。それはそれで勿論いい。ヒカルの狙いでもある。問題は、ここからどういう普遍性を抽出するか、だ。

そのヒントは『桜流し』にある、とみていいだろう。さて、どう解釈すべきか。続きはまたいつか。次回はまた違う事を書きそうなのでねこの人は。