無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

流れが遺す 穿てば抜ける

パイセンの「言葉」、昔より頻度は随分と減ったが、未だに我々の許へと届けられている。立場上、日常と直結するような話はしづらいと思うが、そんな中でしっかりと残る言葉を紡いできた。

Twitterは言葉が流れていってしまうからやる事はない、と最初は断言していたパイセンだが、現実は寧ろ、Twitterに載せられる事で"口承"され、生き残って人々の許に届く機会が増えたように思う。Twilogもあるしコピペもある。未だに私の許には@utadahikaruからのリプライツイートへのRT&Favの通知が届く。毎日生きた言葉が交わされる中で生き残っていく言葉もあるのだ。そのうちまた誰かがコピペして復活する言葉もあるだろう。なかには、出典を騙る人も出てくるかもしれない。それも含めて、言葉は生き残る。響き合いながら。

今すぐは無いだろうが、そのうち歌の歌詞より有名な「宇多田ヒカルの名言」が定着してしまうかもしれない。著名人なら珍しい事ではないが、ヒカルからしたらどんな気分なのだろう。

現実には、ツイートにかける時間の何千何万倍もの時間と労力をかけてヒカルは歌詞を書いている。そちらを評価されずにツイートの方がとなると所謂"複雑な気分"かもしれない。しかし、それもまた、歌詞を書く修行(だわなぁ)を通じて培われた日本語能力のお陰ともいえる。心に沁みる一言は、その人の生きてきた人生の端点に生み出されるものだ。何だろう、それはそれで、という気はする。歌詞を書けてしまったんだから、という自信も生み出す。関係ない、と言い切れるなら、それはそれでよし。同列に語る事自体、違うのだし。

ただ、今や歌詞は工芸品というか陶芸に近く、その独特の造形を味わう為のものになっている。これだけ作り込んだ挙げ句に出来上がるのが「ヒカルの素の声」なのだとしたら、その技術の程度はとんでもないものとなるだろう。未々先は長い。ヒカルからの言葉をもっと浴び続ける必要がある。