無意識日記々

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ついでと言っては語弊があるが、対比として、『花束を君に』の方の曲構成もみてみよう。以下の通り。

A:『普段から〜忘れぬ約束した』

C:『花束を君に贈ろう〜涙色の花束を君に

A:『毎日の〜済んだのにな』

C:『花束を君に贈ろう〜きっと山ほど〜涙色の花束を君に

A':『両手でも抱えきれない眩い風景の数々をありがとう』

C:『世界中が雨の日も〜さよならの前に』

C':『花束を君に贈ろう〜どんな言葉並べても〜涙色の花束を君に

…以上だ。『A→C→A→C→A'→C→C'』という至極シンプルな構成である。Aメロ(ヴァース)を3回、Cメロ/サビ(コーラス)を4回、それぞれ繰り返すだけで、Bメロ(ブリッジ)すらない。しかし、この曲を聴いて「単調だ」という印象を持つ人は殆ど居ないのではないか。ふくよかでおおらかで優しくて包み込むようなあたたかさと抑揚のある曲だと評価するのではないか。

ここが、『真夏の通り雨』と大きく異なる点だ。『真夏の〜』は、普通ではない曲構成にする事で悲しみと絶望が普通じゃない事を表現していた(その詳細についてはまた稿を改めて)。一方、『花束を君に』は王道以上に普通過ぎる構成の中で、メロディーにバリエーションを与える事でこれまた尋常ではない感動を聴き手に与える事に成功しているのだ。

読者はもうお気づきだろう、AとCのバリエーションとしてA'とC'があるのを。この二ヶ所でヒカルは、本来のメロディーに沿いながらダイナミックに逸脱して曲展開を豊穣にしている。その歌い回しは、純日本語詞なのでわかりづらいが、伝統的なR&Bやゴスペルなどで聴かれる手法である。

ひとつめのダッシュ(プライムでもクォーテーションでもよいけども)つき、A'を再掲しよう。

A':『両手でも抱えきれない眩い風景の数々をありがとう』

歌い出しこそAの『普段から〜』と同じだがそこでこちらが面食らうような展開をみせる。ここに魅入られた人多数だろう。多分、この一行だけで一エントリー書けるよ私。

もうひとつのダッシュつき、C'はもう素晴らしすぎて。毎週「とと姉ちゃん」では月曜日にのみ聴けるパートだ。

C':
花束を君に贈ろう 愛しい人 愛しい人
 どんな言葉並べても
 君を讃えるには足りないから
 今日は贈ろう 涙色の花束を君に

もう、ここの『並べても』以降のメロディーの煌めきっぷりは筆舌に尽くし難い。こっちは一エントリーどころか一行も書けないわ逆に。「聴け!」の一言で済ませたい。これが言いたくてこの曲を書きましたと言わんばかりの迫力である。聴け。


という感じで、曲構成自体が楽曲の主張の外骨格となっている(という話はまだしていないけれども(汗))『真夏の通り雨』に対して、曲構成は極力シンプルにしつつ、その内側において歌い回しと節回しで(そして勿論作詞でも)ドラマを構築する『花束を君に』という対比になっている。全く異なる、相反するとすら言える手法をそれぞれ使いながらいずれも「ここでしか聴けない」と自信を持って断言できる程の強烈な個性を2つの楽曲に封じ込めてくるとは、いやはや、宇多田ヒカルだよヒカルは。…何を言ってるんだ俺は。(笑)