『真夏の通り雨』、今までずっと絶賛してきた。そう言ってしまうと陳腐かな。凄い曲、凄まじい曲。4月からずっと私がそう感じていると伝わっていれば幸いである。
しかし、今のタイミングで『真夏の通り雨』を聴くのは、本当に堪える。どの言葉にも実感がこもりすぎていて。
今までは、「この歌をあの場所で眺めたら、きっとこんな風に見えるんだろうな」という事を、幾らか想像力をはたらかせて捉えていた。嗚呼、こんな風にみえるんだろうから、確かに凄い、と。
今は、同じ場所とは到底言えないが、少し近付いた場所での眺めが、直接見える。想像力をはたらかせる事なく、実感として。歌を、まるで自分の中から溢れ出てくるような感覚で、聴く事が出来る。ナイフを眺めながら「きっとよく切れるんだろうな」と思っていたのが「実際に切ってみた」に変化した。何だろう、凄みとか重みとか、言い表せない黒い圧力を感じる。大きく、深く広く、重い。
ここから『花束を君に』は凄く遠い。一体全体、どうやるんだろう、と。知りたい。『ずっと止まない止まない雨』を止められたのは何だったのか。『ずっと癒えない癒えない渇き』を癒し潤したのは、何だったか。
アルバムでの曲順は、どうなるだろう。『真夏の通り雨』も、フィーチャーされているかもしれない。ただ、あのフェイドアウトがエンディングになっていたりしたら、これは怖い。何の救いもない無限ルートでアルバムの幕を閉じられたら遣る瀬無い。やはり、次に『花束を君に』が来て欲しい。
一方で、オープニングナンバーは『花束を君に』がいいなぁ、とも思う。配信の売れ行きからみても、この曲が「宇多田ヒカル復帰第一弾の楽曲」として認知されている。この歌からアルバムが始まれば、皆も馴染み易いのではないかと。
無論、我々の知らない曲が既に10曲、あるかもしれない。既にその中にオープニング・ナンバーに相応しい曲があるかもしれないし、『真夏の通り雨』の後に、雲間から射す陽の光のような楽曲が、置かれているのかもしれない。まだまだ、わからない。
アルバムの中でこの2曲が、どのような"機能"が託されるか、未々時期尚早だが、そんな事を考えながら、もう一度聴き直してみるのもいいかもしれない。またインストは復活するのかな、テイク5みたいな強烈なエンディングぅからの童謡、みたいな展開あるのかな。アルバムの発売を控えるというのは、各楽曲の完成度のみならず、その歌がアルバムの中でどこに置かれどんな役割を果たしているか。それを考えながら作品に触れると、より感動的になる。となると、『真夏の通り雨』と『花束を君に』が更により感動的に響いてくるのか。今よりもっと? 恐ろし過ぎる。今はまだその風景を想像でしかみられないが、アルバムを買ったら実際にその場所に行けるのだ。そこまで行って漸くこれらの曲の物語は一応の区切りを迎える。その日まで、取り敢えず…生きるかな。