無意識日記々

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シン説設計

あとは、「シン・ゴジラ」の「シン」の部分が「シン・エヴァンゲリオン」の「シン」とどう繋がってくるか、だろう。

「シン」には新・真・神と様々な意味が付与されるが、「シン・ゴジラ」の「シン」は明らかに「神」だった。意味的には「神の」かな。「風の谷のナウシカ」でいえば、ゴジラ腐海であり、それが人間界に攻めてくるのは海瀟、オウムの群れにあたるが、かつ機能としては巨神兵だ。そして勿論、エヴァンゲリオンでもある。

総てに共通しているのは、平和に暮らしている人間の文明社会に圧倒的な"力"が攻め込んでくる構図である。ナウシカゴジラも他人の作品だが、庵野秀明はそれらも取り込んで自らの中に消化吸収している。ゴジラ巨神兵、そしてエヴァンゲリオン。恐らくそれらを「シン」の一言でひとつなぎにする、一本の芯を通してしまおうというのが彼の野望だろう。ならば「シン」は「芯」でもあるのだろうが。

それなら勿論「風の谷のナウシカ」の全編アニメ化を所望したい所だがその話をすると脱線し過ぎるので割愛して。

EVAQのぶっ飛んだ展開は庵野秀明総監督自身を苦しめている。一方で次回予告にみられるように構想自体は、あるのだろう。「シン」は幾らでも漢字が当てはまる。真・神・新・芯・震・侵・浸・深・疹・心・身・・・…どれも、物語を始めるには十分だ。即ち、最終的にはほぼ無意味な「シン」に戻ってくるだろう。「シンプル」の「シン」だった、でもいい。

ゴジラ巨神兵エヴァンゲリオンに共通する何かを探っていけば、自然と総ては繋がっていく。ではアニメ映画にゴジラが登場するのかといえば確かにそれは無理がある。寧ろ、エヴァンゲリオンを実写化特撮化して「ゴジラvsキングギドラ」ならぬ「ゴジラvsエヴァンゲリオン」や「ゴジラvs巨神兵」を撮る方がまだ可能だろう。やっちゃえばいいと思うの。

そうなると流石にシンジくんたちの出番がなくなるので、アニメはアニメとして戦うだろう。主題歌もそっちで流して欲しいし。

話がとっちらかったが、要するにこういう話題はまだ時期尚早という事だな。まずはニューアルバムを聴いてから。話はそれからで遅くない。