無意識日記々

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真夏の『ともだち』

『ともだち』という曲タイトルをみて真っ先に思い浮かんだのは、通常の意味での"フレンド"ではなく、浦沢直樹の「20世紀少年21世紀少年」に出てくるキャラクターの"ともだち"の方だった。なぜなんだろうと思ったが、まずは、漢字で「友達」「友だち」と書かずに(なぜか「とも達」とは書かない)ひらがなで「ともだち」と書いてあったから。漫画ではずっと「ともだち」表記だった。んでもう1つの理由として、最初に曲目一覧を目にした時に次の『真夏の通り雨』の所に書いてあった≪日本テレビNEWS ZERO」テーマ曲≫の一文が無意識裡に作用したんじゃないかと。「20世紀少年」の劇場版って、日本テレビ系列の出資なんだよね。当然テレビ放映も日本テレビ系列で。つまり「ともだち」+「日テレ」から「20世紀少年」が出てきたんでないかと。私の場合そういうの、ありそう。

では実際にこの曲が「20世紀少年」を題材にしているかというと、どうだろう。確かに、宇多田&浦沢は「Invitation」の対談で意気投合しているし、「20世紀少年21世紀少年」を読んでいない筈もないので有り得なくはないが、タイアップもなしにそれをするかというと、前例が無いか? いやこれからする事に前例の有無は必ずしも必要はないが。新しい事できなくなっちゃうし。

それに、テーマとして、ヒカルの芸風に合わないような。カルトが政治を動かす話だぜ、おおざっぱに言うと。しかし、これがだ、話が進むにつれてある年の「少年たちの夏休み」がキーワードになって、いくんだな。そうなるとだ、もし仮にこの『ともだち』が浦沢直樹の「20世紀少年」を題材にとっているとすると、アルバム『Fantome』の中盤は『二時間だけのバカンス』『人魚』『ともだち』『真夏の通り雨』と“夏”をテーマにした楽曲が4曲居並ぶ事になる。これはなかなかにエキサイティングだ。

更に、この4曲、そうなると総てアルバムタイトルである『Fantome』と関連づける事が可能になってくる。『二時間だけのバカンス』は「真夏の夜の夢」のように一夜だけの幻のような一時だろうし、『人魚』は"fantome(phantom)"と同語源である"Fantasy(phantasy)"即ち幻想の象徴だ。更に「20世紀少年」でのともだちは、顔もわからない、生きているか死んでいるかわからない、まるで幽霊か何かのような不気味なキャラクターとして描かれている。"fantome"には勿論「幽霊」という意味もある。

そして、『真夏の通り雨』。言うまでもなく『もう幻』だ。

このアルバムが、或いはこのアルバムの一部(例えば真ん中の4曲)が「夏と幻」をテーマとして共通に持つのであれば、『ともだち』が浦沢直樹由来な可能性も出てくるという訳だ。無論、そうならなくても、夏休みの間だけのともだちって、居たりするよね。田舎の親戚とかの長期休暇先で知り合った地元の子と。そういう思い出もまた「ひと夏の幻」みたいな思い出として残る。このアルバムのカラーみたいなものが見えてきたかもしれない。

そしてアルバムのリリースは9月28日。夏もすっかり終わって秋の直中に突入した頃。夏の思い出が「あれは幻だったのかもしれない」という風に思えてくる季節。夏が幻になる時季を選んでのリリースだとすればそこまで計算尽くかと感嘆する。この私の妄想が一部でも当たっているとするならば、これは大変な傑作だよ。一部も当たってなくても傑作間違いなしだけどね。