無意識日記々

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最上階から更に建て増せた衝撃

人の喉というのは不思議なもので、筋肉の癖に、休ませたら衰える事もあればパワフルに復活する事もある、何とも不思議な器官である。ヒカルは6年間歌っていなかったらしいが、どうやらそれは衰弱の契機ではなく心地良い休息となったようだ。野球投手の肩が消耗品で、極端な話一生で投げられる球数が決まっているかのような扱いをされる訳だが、喉も時に使い過ぎれば衰える。ファンの殆どは、無理なスケジュールで喉を潰す位ならゆったりした日程で末永く歌って欲しいと思っているのではないか。今のところ、ヒカルの喉は健在で、何よりだ。

桜流し』は4年前、即ち過去の曲だ。以前であればアルバム2枚分昔ということも出来、必然、もう既に歌い方が変わってしまっている、とも解釈出来る。初披露の時点で過去の曲、という取り合わせが何とも奇妙な状況を生んでいる。iTunes Storeでは既に『Fantome』のうちの1曲として『桜流し』が売られていて、しっかり"Mastered for iTunes"のマークがみえる。もっとも、iTunes Storeの音源管理は笊みたいなものなので(だってねぇ、解禁一時間前に買えるようになってるだなんてなぁ…これが初めてじゃないんだよ)、実際は従前の音源でした、なんて事があっても一切驚かないが、先述の通り、しっかり音質が改善されているのが聞いてとれるのでご安心を。

音質が変わったが、しかし、パフォーマンスは過去のままだ。それを考えると、昨日のMusic Stationでの歌唱は現在の解釈での『桜流し』という事で、より『Fantome』らしい、ともいえる。『桜流し』のトラックだって11分の1を担っているのだからおかしな言い方なんだがね。

2006年6月に発売になった『ULTRT BLUE』であっても、2003年1月リリースの『COLORS』がフィーチャーされていて、アルバム曲に数年単位の時間幅があるのはこれが初めてという訳ではないが、こうやって"6年間歌っていなかった"と言い切る条件下で11曲並べられると、流石に歌い片の差異、違和感は出てくる。実際、現在の5曲を並べてみても、『桜流し』はやはりヴォーカルの雰囲気が違う。1曲だけスタジオもマイクも大きく違うのだしミックスだって別物だから、というのも勿論理由のうちだが、やはり声自体がか細い。今のヒカルの歌声は、野太いとはまた違った意味で太くなっている。いや、発声の許容量が大きくなっていて、より言葉を明確に発音出来…早い話が、ダイナミックレンジが大きくなっている予感がする。抑揚の幅と精度の微細さが上がったのだ。過去最高の歌唱をみせた『桜流し』でさえ、何かそこだけ小さな箱に収められたような印象を受ける。

ただ、まだヒカルはこの自分の声の"新しいポテンシャル"を使い切っていない。少なくとも今まで聴けた5曲の中では。今後6曲に更なる新境地がみれるのかはたまたそれは次作に持ち越しか今の時点ではわからないが、ともあれ今回の11曲で聴ける歌いっぷりは間違いなく過去最高のクォリティーに、なるだろう。パフォーマンスもサウンドプロダクションも。まさかこんなに歌手としての未来が拓けてしまうとは以前は思ってもみなかった事なので、嬉しい驚きなんですよ。