無意識日記々

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三人称の恋人

『俺の彼女』。もうタイトル発表の時点ですぐに目を引いた。インパクト抜群。曲調も予想出来なかったし、ヒカルが"どういうつもりで"こんなタイトルにしたがったのか見当もつかなかったが、果たして、今目の前にある楽曲は貴方の御期待に沿えたであろうか。

『俺』の『彼女』。まず、『俺』。ヒカルが初めて本格的に使う一人称だ。男性性を表現する為に使われる訳だから、勿論の如く曲中では男性を演じる。荒々しさや雄々しさと言い換えてもいいが、最終的には「強がり」の為、だ。

『彼女』の方は、『日曜の朝』のあの一節によって余計クローズアップされた。『彼氏だとか彼女だとか呼び合わない方が僕は好きだ』。一人称が『僕』であるにもかかわらず、この一節は宇多田ヒカルの"本音"として受け止められている。

そもそもこの『僕』は、「彼氏彼女」の呼び方のどこが気に入らないのか。

英語の授業でhe,his,himは彼、she,her,herは彼女と習う。三人称だ。なぜ三人称が、恋人やパートナーを呼ぶ時に使われるのか。それは、これが使われる場面の多くが、お互いが不在であるからだ。2人で居る時は「わたしとあなた」「おれとおまえ」である間柄を、第三者に説明紹介する時に「彼氏彼女」は登場する。『俺の彼女』はまさに、『俺』が『彼女』を紹介(自慢?のろけ)する所から始まる。

ここらへん、たとえば英語の「ダーリン(darling)」「ハニー(honey)」とは随分違う。日本語として、カタカナ語として使われる時でさえ、ダーリンとハニーは場合を選ばない。「おお、愛しのマイ・ハニー!」「愛してるわダーリン」と二人きりの時にも言うし「私のダーリンったら素敵なの」と誰かにのろける時にも使える。流石に実際に使ってるとこ見たことない(筈だ)けど、使えるのは間違いない。

しかし、二人きりの時にお互いを「彼氏」「彼女」と呼び合うのは極めて稀だ。「あなた、私の彼氏なんでしょ!」くらいの使い方は出来るが、これは相手を指す呼称ではないし、そもそも、こうやって二人きりの時に使われるのは、ご覧のように、お互いが彼氏なのか彼女なのかが疑わしかったりあらためて問われたりする時である。既に危うい。

即ち、「彼氏彼女」という関係性は、必ず第三者が介在しなければ成り立たないのである。『日曜の朝』の『僕』が『彼氏だとか彼女だとか呼び合』う事を厭うのは、つまり、第三者と関係なく二人きりの世界で居たい事のあらわれであると解釈できるのではないか。『お祝いだお葬式だ』の一節も浮き世がまるで遠い国の出来事のように感じさせる。二人きりの空間からは遠く離れている。

『俺の彼女』は、そういった認識から出発してみたい。第三者が介在するからこその三人称、そして『彼女』、そして『俺』。如何にヒカルの作詞術が巧みなのか、嫌になるまで聞かせてあげましょうよ。