無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

独善的で罪深く業深い安心を得て

"She is the one and only but one of them as well."

ヒカルは自分にとって唯一無二であるとともにその他大勢でもある。『Fantome』が発売されてから『Fantome』ばかり聴いているかというとそうでもなく。特にこの秋はメタルのビッグネームが目白押しだ。泣く子も黙るBon JoviMetallicaの間にメロデスオリジネイターであるDark TranquillityIn Flamesが一週差で新譜を出す。それに先んじてAvenged Sevenfoldが昨今流行りのシークレット・リリース…アルバム完成発表と同時に販売開始でファンの度肝を抜く。いやはや、新譜のチェックだけでも大変である。

新譜購入だけではなくライブやイベントも沢山。フェスに行き友達のライブに詣で、更にこのあとカバー大会を観覧したり放送室のイベントに行ったり。忙しくはないけれど、一言、"無節操だなぁ"とは思う。本来ならここに金のギタスズと銀のギタスズが…と考え始めるとガックリ来るので止めておくが、浮気症かどうかというよりもグルメだと自負したい。いや、別にしたかないか。

それでもヒカルが特別なのは、この日記にある通りだ。ここ始めた時に私は元気よく宣言した。「ここではヒカルの話以外も書くから!」と。本当にそのつもりだったのだが、書いてみたら9割位はヒカルの話を出すし8割位は本当にヒカルの話だ。書いてみたら、書いているうちに自然とこうなっていった。既成事実は本人をも困惑させる。嗚呼、自分はそういうヤツだったのかと。お陰で何を見聞きしても「これがヒカルだったら」と考える癖がついた。最初っからそうだったのか書いてるうちに自分が変化していったのかは定かではないが、もうそうなってしまった以上そうなのだ。特にそれを修正する情熱も見当たらないので、多分一生このままだろう。

だからといって、では"ここ"が「帰ってくるべき家」なのかと言われると、うーんと唸ってしまう。そうなのかもしれないし、そんな事もないかもしれない。『道』を聴きながら、スタートもゴールもあなたというからには、ずっとあなたと一緒に居るのです、というメッセージが、何だろう、誰もがヒカルに求める役割をヒカルはお母さんに求めていたんだなという風に解釈されて、誰にもそういう人が居たりして、居なかったりして、居なくなったりして、迷子にすらなれなくて、でも泣いてうずくまっていてもどうしようもなくて、歩き始めると、一緒に居てくれる気がして、止まると居なくなる気がして、「家」という止まったイメージよりも、動き続ける何か、嗚呼、だから宇多田ヒカル藤圭子は歌で深く深く繋がっているんだ、であるならば、歌う事を止めたら、愛を示す契機がなくなる、歌を辞める訳にはいかないんだ、とひとり納得して、家であっても家でなくても、歌の響く空が居場所なんだと、そうね、安心しちゃった。母を愛している、と誇らしく宣う以上、
もう、歌うしかない。

『道』がその宣言そのものだとすれば、やっぱり復帰のテーマソングで、アルバムの1曲目に相応しい。いい選択だったな。