無意識日記々

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シャインダウン・イメージダウン

急にシャインダウンの事を思い出したので書く。アメリカのロックバンドで、レイナード・スキナードの"シンプル・マン"のカバーなどで有名だ。オリジナルでいちばんのヒット曲のひとつが"セカンド・チャンス"で、昨年ラウド・パークで来日した折も私は同曲を生で聴けるのを楽しみにしていた。

しかし、実際に彼らが演奏しているのをみて聴いて、ガッカリしてしまった。演奏が下手だとか声が出ていないとかそういう事は全く無いのに一切心に響いてこない。ありきたりな言い方をしてしまえば至極"心のこもっていない演奏"を見せられてしまった、というところか。

彼らも随分なベテランで、数十年に渡る過酷なツアーを経てミリオンアーティストの仲間入りをしたバンドだ。ライブに手を抜く事があろう筈もない。しかし、特に"セカンド・チャンス"に関して言えば、彼らからしたら最大のヒット曲のひとつという事で、どのライブでも必ず演奏される。要するに演奏し過ぎてもう飽き飽きしているのだろう。今の彼らは義務感だけで同曲を演奏している。心なしかテンポが早めだったのも「こんな曲さっさと歌い終えてしまいたい」という気持ちが先走った結果だったのでは、と穿った見方もしたくなってしまう。それ位に全く心に響かない演奏だったのだ。

ツアー生活が続くと、疲弊しきって枯れ果てるか、ある意味神経を麻痺させて"任務を完遂する事自体"をひたすら目指して強靭に行動するか、という二択を迫られていく。後者はまるで軍人のようなアティテュードだが、故に私の目に彼らは"戦闘的"とうつった。ひたすらライブを遂行するだけのマシーンの集まり。それくらいにならないとワールドツアーなんてこなせない。

みていて、悲しくなった。ナマで観るまでは、彼らの事が結構好きなつもりだったのに、今や彼らの曲を聞くのが億劫である。ライブでクォリティーの高いサウンドと演奏と歌唱を聴かせてもらって評価が下がるだなんて皮肉を通り越して悲劇である。見なきゃよかった。知らなきゃよかった。あのヴォーカルの麻痺した目の色はまるでアンドロイド、いや、軍人だった。溜め息が出る。

ライブでみて「へぇ、シャインダウンのベーシストってこんなに巧かったのか」と新しい発見を得たりしていても、代表曲を気のない演奏で聞かされたら一瞬で幻滅させられるのだ。現実って怖い。


だからこそ、ヒカルさんには、あんまり過密な日程のツアーは組んで欲しくない。ウタユナのように手術寸前まで酷使してしまうから、というのも勿論だが、いやいやステージに上がられる事ほどいやなことはないのだ、こちらとしては。「ここにいたいからいる」は幸せの必要十分条件である。不幸なヒカルは見たくない。それもまたファンのエゴではあるのだが。

できれば、「今日もコンサートか。よっしゃ、いっちょやったるか!」くらいのノリでステージに出てきて欲しい。「またコンサートかもううんざりだわ」とか言いながら奈落からせり上がられるならもうそのまませり下がって欲しい。チケット代金は返さなくていいから。私の心返して。言うてる場合か。

人間、その日どうしても気分が乗らない事だってある。それはもう仕方ない。仕方ないが、しかし、それこそがいちばんのプロデュースなんだと強く感じる。ツアー日程に合わせて、自らのモチベーションまでコントロールできてこそ真のプロデューサーではないか、シャインダウンにはその視点が欠落していた。狙ったその時刻に自らがライブを心底楽しめるように、予めあらゆる準備をしておく。なんでもいいのよ、食事のローテーションを決めておくとか、各行き先の観光名所をチェックしておくとか携帯ゲーム機のソフトラインナップを揃えておくとか、ほんになんでもいい。大事なのは事前に工夫をしておく事だ。

勿論、喉のケアやスタミナ作りも重要だ。しかし、モチベーションに勝るものはない。やる気と楽しさが漲っていれば、音が悪いとか声が出てないとかも気にならなくなっていく。逆に、やる気がなければ、幾ら音がよくても声が出てても、私にとってのシャインダウンのように、幻滅が待っている。


ヒカルはもう次のツアーの日程が決まっているのだろうか。もしまだなら、ライブコンサートへのモチベーションが最大に上がるようなインターバルで組んでもらいたい。もうそこから"モチベーションの設計"は始まっているのだ。当日ステージに出てこれなかったり、注射で騙し々々ステージに上がり続けたりせずに済むように、今から考えておいて欲しい。自ら望んで歌う事こそが、心のこもった歌への最短の道だと信じてますからね私。