無意識日記々

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ミックス・ダブルス・ソングス

今年のアジア選手権は結構熱そうなのに例年の如く日本から誰も取材に行ってないのでいまいち熱気が伝わってこない。水谷の居ない男子は兎も角、石川抜きでシンガポールと韓国に完勝して決勝で中国とあいまみえた女子高1トリオは相変わらず素晴らしい。特に美宇はあのリュウ・シウェン相手にかなりの接戦を繰り広げたようで、週末はなんとか動画を探り当てたいわ。2分のダイジェストじゃ物足りない。

混合ダブルスも熱い。準決勝は2試合とも日中対決で1勝1敗。美誠森薗ペアが決勝に進出して中国ペアと激突する。どうなる事やら

余談だが、テニスもそうなんだけどこの混合ダブルス、オリンピック種目にならないもんかね。男女が一緒にプレーする種目って五輪全体スポーツ全体を見回してもなかなかない。注目を集めると思うんだが。仕方ないとはいえ、スポーツは基本同じ競技でも男女別々だからねぇ。あとパラリンピックもオリンピックに吸収されりゃいいと思うんだけど、無理かね。柔道で体重別だなんていう差別で競技枠決めてるんだから障害のクラス分けとか問題ないと思うんだが。

前も言った通り、人間の男女というのは社会学的にも生物学的にもフィクションである。実在などしていない。それを実際に生きる人間に当てはめるのも無理がある。勿論、「人間」というのも突き詰めればフィクションだから、「人間らしく」と強制を続けていくとどこかで無理が生じる。ファンタジーはファンタジーとしてちゃんと本やアニメの世界に封じ込めておこう。

フェミニズムジェンダー論を「もてない女の僻み」と一言呟けば炎上必至、途端に袋叩きに合うだろうが、そういった駆け引きで事態が動く事自体、ジェンダーどころかセックスですらファンタジーだという事を示している。これからの時代、親の性別は様々になる。2人とは限らない。1人も3人以上もありえるし、1人々々が既存の性別カテゴリーに収まらないかもしれない。そういう親たちに育てられた子たちがどのような恋愛観、性愛観をもつのか、というのには些か興味がある。実際に観測できるのは何十年も後になるかもしれないけれど。

昨年の今頃『真夏の通り雨』が私(達)に突き付けたのは、親子間の感情がどのようにその人の恋愛観やら性愛観やら貞操観念やらに影響を及ぼすか、という点だった。5分余りの曲に封じ込めるにはあまりに豊かなテーマだが、ついついその見方を敷延し過ぎている自分をみつけて戒めるモードに入っている。ヒカルがダヌパの恋愛観を目の当たりにするのはもう少し先になるだろうが、Kuma Changをゲイに育てたヒカルが"どういうつもりだったのか"は気になっている。くまちゃんが他の女の子を好きになったらヒカルは嫉妬したのだろうか? 彼が終身ゲイなら最早その心配は無いが、性的嗜好が生後経験によって変化するかどうかもまた些か興味のある主題ではある。SONY/EPICから発売される新作の中でまたこのテーマに取り組んでいる歌があるかどうか。些かドキドキしながら待ち詫びていますよ。