無意識日記々

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ちっとも解決に至らないチケット問題

いつも私はチケット問題となると主催者側に手厳しい印象があるかもしれないが、そうではない。深く考えずに転売を悪と決めつけ、雰囲気に流され、そのくせ自ら対策を練ろうとしないそういう"日和見主義"にイライラしているだけである。

毎度「どないやねん」と思ってしまうのだ、「転売許すまじ」、わかった、で、どうするの?―何もないのね、今までと同じようにチケットを売るんだもんね…っていう流れ。

確かに、興業主とミュージシャンでは意識が違うだろう。そこを自覚するところからだ。

それは一般論。私(ら)が知りたいのは「ヒカルがどう思っているか」だわな。

いや、Hikkiの好きにしてもらって全然構わないのですよ、本来なら。でも、財やサービスが適正価格に落ち着くまでのプロセスを、この自由の国に在って抑え込む訳にはいかないのです…

…という、そこらへんの価値観を共有できるかどうか。「チケットが定価より高値で取引されるのは、最初にあんたらがつけた値段が安過ぎたからや」と言って、わかってもらえるか。これが経済活動なんだと、納得してもらえるか。

ヒカルは頭がいいから、大丈夫だろう。それと同時に「そんな高い値段を払ってもらうのもどうなんだ」と思っているに相違ない。或いは「若い人たち、こどもたちにはもっとお手軽な値段でみてもらいたいな」という風に考えているかもわからない。なんだか、ありそうな話ではある。小さい頃からステージに上る母の背中を見て育ってきているので、こどもの時にライブを観る事のインパクト、影響力の大きさは誰よりもよく知っているだろう。「こどもたちに」と思っても仕方ない。

ライブチケットの価格の高騰を防ぐには、ライブの価値を下げるしかない。勿論、パフォーマンスのクォリティーを下げるだなんてヒカルはやる訳がないから、それをする為には「本数を増やす」のが最もシンプルで強力なアイデアだ。チケットが売り切れなければ、そして、席の良し悪しに文句を言わなければ、若い子たちだって気楽に来てくれるだろう。だがこれが、今のところ「宇多田ヒカルの弱点」だわな。兎に角ライブの頻度が少ないのだから、開催する度にプラチナチケット化して転売屋の皆さんの懐を潤す結果となる。悔しいかもしれないが、それが現実だ。

プラチナチケット化を「箔が付いた」と歓迎するミュージシャンも居るかもしれない。見栄より実質で生きるヒカルには関係ない話である。

思うに、大事なのは「希望」と「信頼」だ。いつ次観れるかわからないから人は群がる。「宇多田なんてまた今度すぐ観れるよ」という"軽い希望"と、「必ずまたやってくれる人だ」という信頼。これが合わされば、ヒカルにとって少しずつ理想的な状況が近付いてくるだろう。諦めずに続けて行くべきだ。