無意識日記々

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バカボンの話からマザコンの話へ

七夕でござるか。昨年は感情のジェットコースターでの。吉良さんの訃報が知らされ、『Fantome』の発売が発表になった。週間音楽ニュースのアクセスランキング1位と2位の話だ。沢山報じられるというのは大きな事で、そこから暫くzabadakのLIVEには沢山のお客さんが詰め掛けるようになったのだ。…生きてるうちに来いよ…(ボソッ

1年経って、生きてる方は順調に活動を続け、そうでもない方は遺した歌で人を動かしている。少し遠いと、生きててもどちらでもあんまり関係ないような気がしてくる。現実はそういうもんである。

人の意識は変わる。情報とはまた、そういうものだ。

ヒカルも、「もう重いのよりポップなのを」という趣旨の発言をVOGUEでしていた。弔いだ哀悼だというモードからは、ひとまず、表現活動においては遠ざかるというか控えめになるのか。その割に我々は、『大空で抱きしめて』にも『Forevermore』にもお母さんの影をまだまだ見る。…マザコンかよ(ボソボソッ

間もなく亡くなってから4年になる。圭子さんの時間は凍りついてもう動かない。「生きていれば66歳」って残酷な表現だよね。孫の顔見せたかったな。気持ちも変わっていたかもしれない―そういうたらればもまた酷か。

歌詞をどう読もうが勝手ではあるし、生前から主要なテーマだったのだから今後もずっと取り上げ続ければいい。「恋い焦がれる」感情が、薄い希望を纏うか確とした絶望に浸かっているかの違いはあるけれど。『嵐の女神』なんてマザコンじゃないと歌えないよね。それをコンプレックスと呼ぶのに抵抗はあるけれど、少し…貶める?位でちょうどいいよ。ヒカルも今や母なのだから。

ダヌパの人生に興味はない。他人もいいところだし、幸多き人生でありますようにグッドラック!てなもんで。ただこれから遠回しに歌詞の題材として扱われる可能性だけは覚悟しておいて欲しい。直接的でなくとも、作詞家の感情を動かす以上影響は避けられない。

一年で変わったものと変わらないものと。こどもの成長は早い。もう一年も経てばまた劇的に変わる。今は今でしかなく、今は今にしかない。ただひとつひとつ確かめていくだけなのです。