無意識日記々

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『Forevermore』のヴォーカルミックス

そうそう、『Forevermore』のベース・サウンドに絡んでひとつ触れておきたい事がある。同曲のヴォーカルのミックスについてである。

『大空で抱きしめて』は、『雲の中飛んでいけたら』といった歌詞に合わせて広がりのある歌声の録音だったが、『Forevermore』では一転して残響(エコー、リバーブ)の少ない、生々しい感触になっている。より耳元で歌われるような"近さ"を感じる筈である。

これを最初ソニーストアのハイレゾで聴いた時、「随分とハイレゾ甲斐のないミックスだな」と思った。試聴機には他の様々なジャンルの曲もハイレゾで入っていたので機器とハイレゾの特質を把握すべく色々と聴き較べしてみたのだが、やはり『Forevermore』には"ハイレゾらしさ"がない。私にとってハイレゾらしさとは、音そのものよりその音が鳴り響く空間の広さを感じさせる事にある。『Forevermore』の録音、特にヴォーカルの録音はまるでその特質を活かす気がなかった。

これはどういうことだろう。曲がりなりにもソニーストアで解禁を歌う以上、ハイレゾの効果を知って貰って購買に繋げる事も大きな目的のひとつだろうに。

恐らく、ここからは推測だが、その原因は今回の"ヒカルとしては珍しい"ベース・サウンドにあるのではないか。ヒカルがベースを軽視する理由として前回"曲作りのプロセスに登場しない"のを理由として挙げたのだが、かつて触れたようにもうひとつ、"ヒカルの歌声の音域"にも原因があるのではないか。

ヒカルの歌声はチェロである。言い換えると、ヒカルの声に含まれる倍音成分(要は声色)がチェロのそれ(要は音色)に近いのではないかという仮説である。チェロの音域とエレクトリック・ベースの音域は近い(曲によっては同じ)。つまり、ベースが暴れまわってしまうとヒカルの声色と食い合ってミックスが難しくなってしまうのではないか。要は音が混ざり合ってお互いの音の輪郭があやふやになってしまう、という。

今回それを避ける為に細心の注意を払ってヴォーカルのミックスをした。その結果がこの"ハイレゾ甲斐のない"サウンドである。高音域低音域ともにあやふやな混ざり合う成分はばっさり切って歌声の輪郭をトリミングするレベルで正確に浮かび上がらせる。それに注力する為か妙にヴォーカルの録音音量レベルが高い。兎に角、かつてない程に分厚くなったバンド・サウンドの中にヒカルの歌声が埋もれないようにとのミックスである。特に今回はヴォーカルラインがいつになく中低音域中心だからかなり難易度が高かっただろう。それでも今回のコンセプト自体は奏功した。のだがお陰でハイレゾリマスタリングの恩恵は薄くなってしまった。あちらを立てるんならこちらも立てればいいじゃないの宇多田メソッドらしからぬ"失態"だが、『桜流し』のように元々の録音状態に問題がある訳でもない。これはこれで狙いは成功しているのだから我々は遠慮なく普通のマスタリングでこの曲の分厚いサウンドを堪能する事にしよう。偶にはこういうのも悪くないでしょ