無意識日記々

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ララバイ:宇多田ヒカルの場合

「ごめん、愛してる」を見ていると"子守歌"がキーワードになっているなと思うが、前も触れた通り、ヒカルが次に"子守歌"を書いてくるかどうかに関しては興味がある。いや、特段ドラマ関連という訳でもなく、自作して子に歌って聴かせるとかしてないのかな、と。

即興で歌う、なんてのは歌手でなくてもする人は居る訳で、なんとなく子守歌っぽい歌を自作する事もままあろうが宇多田ヒカルがそれをやると次世代の子守歌スタンダードが生まれてしまう訳でさぁ大変。シンプルに考えれば既にそれは『ぼくはくま』で達成されている訳で、殊更今後力んで作ろうとする必要はないが、ダヌパの寝顔をみていて思わずついて出た歌をこちらに向かって公開するのに躊躇う必要もまた、ない。

発表されればその子守歌で育つこどもたちが幾らか出てくる。ダヌパだけは何ヶ月か何年か先にそれを体験しているが兎に角、ヒカルのメロディーが幼少の心に刻まれる機会になる事はあんまり言うまでもない。ただ、枕元で歌って聴かせるお母さん方から「音の高低差が激しくて歌いづらい」だとか「符割りが難しくてメロディーに歌詞が載せにくい」とかの"カラオケで宇多田を歌う時あるある"な苦情が来ないような曲調でないと、いけないだろうが。

こういう時フィジカルでシングル盤が出ないかなぁ、と思う。いや勿論表題曲ならいいんだけれども、シングル曲として大々的に売り出すにはパンチ不足だし、アルバムに入れようとしてもなんか一曲だけ雰囲気が違うし…というときに"シングル曲のカップリング曲として収録"というテが使えるか使えないかは大きい。シングルが配信限定になって久しいが、この手法を使えないのは地味に痛い。もっとも、ヒカル自身は「自分の曲は全部アルバムで聴けないとやだ(散逸させたくない)」という意志を持っているので、少々空気が合わなかろうがアルバムに入れてきてしまうと思うけれども。何しろ、『ぼくはくま』が玉座(アルバムラス前位置の事だろう、多分)にどん!と鎮座しているのだから、今更そんな事気にする必要はないかもしれないが。

そもそも『人魚』が既に子守歌風の楽曲で、しっかりアルバム曲として機能しているのだから、そういった心配はご無用なのかもしれない。いずれにせよヒカルお母さんの優しい歌声で歌われる子守歌はいつか聴いてみたいので、次作と言わずいつかどこかに収録してくれたら嬉しいなと思います。