無意識日記々

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謎なぞは解けないままが魅力的?

『Forevermore』のミュージックビデオ配信販売開始に伴い、メイキングのダイジェスト映像約5分も公開された。いやはや、成り行きでダンスが難しくなっていったのか。あの様子だと、ダンスをし始めてたから踊ってみたというよりは、ここで踊ろうという事で踊り始めたようだ。それであの出来なのだから恐れ入る。ほぼ初心者じゃん。

で、監督から例のエンディングのカメレオンに関するコメントがあった。曰く、「新しい曲、新しい時代が生まれた象徴」なんだそうな………


………そんだけ?


やれやれ、一瞬でも期待した私が馬鹿だった。つまり、何も考えてなかったのね。大方の予想通りか。

何しろこちらはシャフトによる西尾維新物語シリーズのアニメ化の一区切りに立ち会った所なので、どうしたって映像ワンカット毎にしっかりした意味を求めてしまう。原作からして全体の構成力は突出しているのだが、シャフトにかかれば映像にすら総てのカットに構造的な由来を付する事が出来ると思い知らされたばかりだ。まぁシリーズ始まってもう8年?とか経つので"今更な感心"ではあるのだけれど。

なのでややi_さんの筆致が辛辣になっている可能性がある。もう一週間前だったらこんな風にはならなかったと思われる。

で。カメレオンは結局「新生の象徴」でそれ以上の意味づけは期待出来なさそうだ。問題なのは何故それがウミガメでもカモノハシでもなくカメレオンなのかという点なのだが、時々居る(いや多数派なのかもしれない)英欧の映像監督の傾向だろうか、「ロジックに関心を払わず、フィーリングとインスピレーションで表現する」というタイプなのかもしれない。

これは国民性の差とすら言えるかもしれない。日本人は歌詞にストーリーを求めるので、彼らがリズムや語呂を組み合わせただけの歌詞を歌うのが理解できない。「これどういう意味なの?」「意味なんてないよ?」というやり取りはもう半世紀以上ずっと続いている。歌詞ですらそうなのだから、もっと直観的な映像分野では何をかいわんや。

いや、日本人だけがそういう面に厳しいという訳ではない。例えばピクサー作品なんかは(最近のは知らないけれど昔は)伝統的に、それこそ日本のアニメと同様に「ワンカット毎に緻密に意味を持たせる」事を得意としてきた。国や言語で分けるのは少々乱暴なのだ。兎に角、今回我々はそういう直観的な映像監督にぶち当たった、というだけの話だ。

ほんの少しの気配りの差なんだけどなぁ。例えばカメレオンの誕生場面の後に、実は今までのダンス風景は親カメレオンの眼球に映った映像でしたというズームによるカットを入れる、なんていう結構安直な映像を追加するだけで感想はガラリと変わる。それだけで視聴者は「これは親が子を奪われたという事なのか? それとも彼女(親カメレオン)は夢でも見ている? ヒカルは生命を司る精霊のような存在なのか?」と際限なくストーリーを考えてくれる。ほんの少しインスピレーションに対して関係の言及を行うだけでいいのだ。それを今回の監督はしなかった。それだけである。

例えば今度ミュージックビデオを集めたBlurayをリリースする時にエンディングを延長したバージョンを収録したりなんかすれば面白いんだけどな。それ位はやってもいいと思うぜよ。なんか、色々と勿体無いミュージックビデオである。勿論私は全然嫌いじゃないんだが。