無意識日記々

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「圧倒的不運」

ライブに来る聴衆の大多数がCDバージョンを「お手本」と認識してやってくるのは、ヒカルにとっては常にゆゆしき事態である。「お手本」のレベルが非常に高いからだ。結局はそんなクォリティーの高いトラックをレコーディングしてリリースしてしまったヒカル本人の自業自得でしかないので誰を恨む訳にもいかない。

「お手本」のレベルが低ければライブでの再現は容易い。高ければ難しい。結果、お手本のレベルを下げておいたミュージシャンの方が「ライブがうまい」という評価になってしまう。ヒカルは勿論「CDはいいんだけどライブはイマイチ」となる。もっとも、『WILD LIFE』位になってくるとそんな評価は的外れになるのだが、毎度指摘してきた通りヒカルはライブの本数が少なく・インターバルが長く・なかなかチケットが当たらない、という状態を長年繰り返してきたので、一人一人のオーディエンスが何度もヒカルのライブを見ているケースは少ない。従って、デビューから18年経った今でも「宇多田ヒカルのライブは一度も観た事がない」ファンが最も多く、次に「宇多田ヒカルのライブは一度しか観た事がない」ファンが続く。そしてこの2つで殆どである。結果、彼らはその一度だけのライブでヒカルのライブ・パフォーマンスの実力を判断する。

となるといちばん多いのは、2000年に千葉マリンスタジアムでヒカルを観た人々だろう。3日間で10万人。重複は少なそうだ。次がUtada United 2006のさいたまスーパー・アリーナだ。この時スタジアム・モードだったとすると2日間で7万人近くがヒカルのパフォーマンスを観た事になる。もしかしたら半分のサイズだったかもしれない。現地に居た癖に記憶があやふやで申し訳ない。半分としても2日間で3万4千人とかだな。

これに同じくUU2006の代々木公演やらヒカルの5の武道館やらWILD LIFEの横浜アリーナやらといった1万2千人クラスの公演が続く。

という事で、ヒカルのキャリアは18〜19年にならんとするが、そのライブ・パフォーマンスのクォリティーは恐らく千葉マリン3日間とさいたま2日間の計5日間の出来によってその"定評"が形作られていると推測できる。

千葉マリンの公演に関しては私は見ていないので判断を保留する。ボヘサマDVDをみる限りしっかり歌えているように思う。しかしさいたまの方は特に1日目はキャリア最低の出来だったようだ。勿論全公演把握している人間でないとそれは判断できないのだが、何が言いたいかといえば、よりによってツアーでいちばんお客さんの多い公演がツアーでいちばん酷い出来だった、と。

この日しかヒカルの生歌を聴いた事のない人が物凄く沢山居て、彼らはヒカルの喉が限界に達していたという話を知ってようがいまいが総体的に「宇多田ヒカルの生歌はイマイチ」という評価を下す。それに抗う術も道理も正義もない。甘んじて受け入れるのみなのだが、これは「圧倒的不運」であると主張しておきたい。

つまり、だ。若いファン(まだファンになって月日の浅い人たち)の中には、それぞれにヒカルの生歌の"噂"をネットであれ人伝であれ聞いているだろう。それで「ああ、彼女はライブは苦手なんだな」と思っているのであれば、この「圧倒的不運」について知っておいて欲しいのだ。

今のヒカルならきっと卓抜した生歌を聴かせてくれる。高いハードルを更に上回るライブパフォーマンスを見せてくれる。私がそれを保証できる理由もまたないのだけれど、耳にした"噂"はこの「圧倒的不運」によって生まれたものなのかもしれないのだ。少なくとも、『WILD LIFE DVD』で聴かれる歌声には一切の修正が入っていない。あれだけのクォリティーは今後10年は維持できるだろうと踏んでいる。なので向こう10年どこかでヒカルのコンサートのチケットが手に入りそうだったら遠慮なく足を運んでみて欲しい。きっと貴方の期待に応えてくれる筈である。