無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

昔からLGBT人気の高いヒカルさん

LGBTが差別と戦う(というのかはわからないが)にあたって権力側とのやりとりは非常に重要だ。

その点、昨年、NHK「SONGS」で『ともだち』を歌ったのは画期的だった。特に重々しく捉えるのではなく新曲のひとつとしてサラリと流したのがよかった。ご存知のようにこの歌は同性愛のあるあるについて歌った歌だが、地上波テレビ局の、しかも受信料徴収局のゴールデンタイムで歌ったのは大変意義深かった。

無論、一回や二回歌を歌った所で現状に変化がある訳ではなかろう。しかし、こういった歌が"普通に"テレビから流れてくる事が続いていけば、それは少しずつ世間の空気を変えてゆく。気圧に変化が訪れるだろう。

Utadaの時も、同性愛者のコミュニティーで人気が高いという話があった。今でいうLGBTを扱ったテレビドラマの挿入歌として使われた事もあるらしい。詳しくは知らないけれど、元々Hikaruのファンベースにはそういう所があったのだ。宇多田ヒカル避難所も出自は同性愛板だったし。ヒカルがこの話題について英語でツイートした時もリプライの多くは英語だった。まぁ半分当たり前だけどね。

そのUtadaの活動において、特に米国本土で「アジア人に対する人種差別」はあったのかなかったのか。具体的なエピソードは浮上していないので、「なかった」という風に捉えておくか。スポーツ業界と音楽業界の違いも大きいかもしれない。エルビス・プレスリー以降、と言っていいかはわからないが、かの国も白人と黒人のせめぎ合いの象徴として音楽が扱われていたきらいがある。ヒカルはハイブリッドに、白人音楽からも黒人音楽からも影響を受けた音楽性をアジア人のルックスで提供していた訳で、人種の狭間で苦悩していてもおかしくはなかったのだが、『In The Flesh 2010』を観る限りにおいては、人種の坩堝に歓待されている事が見受けられる。見た目ではわからないが、中には当然LGBTの聴衆もいた事だろう。Utadaのライブ会場には差別は存在していなかった。

今後海外の活動がどれ位あるかわからないが、人種や性愛のスタイルで少数派や弱者が虐げられる状況に対しては静かに抵抗を続けるだろう。具体的な事はわからないが、こちらもヒカルのそういったアティテュードを静かに後押ししていきたいものである。気持ちだけでも、ね。