無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

多作か寡作か

ONE PIECE」の最新巻87巻も安定して面白い。普段に較べて突出したアイデアもなかったのでどちらかというと繋ぎの時期になるのだろうがそれでもアイデアの物量が普通の漫画とは較べものにならない。更にSBS(読者投稿質問ページ)に毎度ながら書いてある通り、本編で漫画化されていない設定やサイドストーリーも山ほどあるのだ。これ本当に週刊連載なのかな。目と耳を疑うわ。

巨匠と呼ばれる人には多作タイプと寡作タイプの2つがあり、何万枚という絵画を残したピカソとか100曲の交響曲を作曲したハイドンなんかが前者のタイプ、BOSTONやSADEのようにオリンピック二つ分の間隔でアルバムをリリースするのが後者のタイプか。腰痛で休載を繰り返す富樫義博はどっちの…とか、本編放置でサイドワークばっかやってる萩原某は…とかは置いておいて、はてさてヒカルはどちらのタイプかな。

便宜上2つに大別したが、当然おおざっぱな話でしかなく、ヒカルの場合「そのどちらでもない」が正しそうだ。というのも、作り始めた作品はほぼ必ず発表にまで漕ぎ着ける、という独特のスタンスだから。

多作な人というのは駄作な人でもある。数撃ちゃ当たると言うと聞こえは悪いけれど、まずは作ってみないと始まらない、という考え方なのだろう。その中から後世に残る名作が生き残ってゆく。

寡作な人というのは寡黙な人でもある。ただひたすらじっと待ち、アイデアが熟成されるまで発表はしない。下準備や下調べは入念かもわからないが、いざ作り始めてもなかなか終わらない。沈黙を結晶化させる匠のようなイメージだ。

ヒカルも、作り始めたら完成させる一点集中型であるが故にやや寡作なイメージがあるかな? ただ、20年でオリジナルアルバム8.5枚は決して少なくはないだろう。寡作というのは少々無理があるのではないだろうか。日本には「アルバム年1枚ペース」という過労死大国ならではの契約があるのだが、その縛りがヒカルにはない事も大きい。

この「多作でもなく寡作でもない」ペース配分が、ファン層の色合いをあやふやにしている。熱心なファンをつけるには少々間が空き過ぎるし、オリンピックやハレー彗星のような捉え方をするには少々フレンドリー過ぎる。でもそのあやふやさがいざという時の爆発力を生むのだから不思議なものだ。藤圭子もそうだったのかもわからないが、国民的大ヒット歌手のカラクリは常人には結構難しい。