無意識日記々

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車内の赤子が泣き止んだタイミングで

歌詞というのはバックグラウンドを知らないと何が何だかわからない内容になっている事がしばしばだ。米国のセレブさんたちは自らに降りかかったスキャンダルも歌詞のネタにするし、ラップなんか固有名詞が出てくる。そんなのに触れられても知らんやん。まぁそもそも歌詞カードないと聞き取れないんだけどね。

藤圭子の存在を知らずに『Fantome』を聴いた人はどれ位居ただろう。そしてその人たちはどういう感想を持ったのだろう。」というのは度々触れてきた興味である。ただヒカルの場合、固有名詞を出す訳でもなく、バックグラウンドを知らない人には意味がわからない、なんていう偏った歌詞も書かない。普遍的で、事前知識は日本語と一般常識程度、というレベルになっている。『Fantome』を聴いた人は、大切な人を喪う歌が幾つも収録されたアルバムだな、という程度の感想になるだろう。また、後から藤圭子の存在を知った人も「具体的な対象があったのか」という以上の感想は持たないだろう。相手が母親だとは思ってなかったとしても、「なるほど母親でもあてはまる」と合点がいくからだ。そういう意味でも、とてもよく書けている詞だなぁ、と思う。

さてSONY移籍第一弾アルバム。多分ないだろうが、ほんのちょっぴり『Automatic Part3 』に期待する自分が居る。『Automatic Part2』は自己紹介ソングで、『昔ヴァージンに居たけど今はアイランド・デフジャム』なんて事を歌っている。あれの再現というか更なる続編である。

こういうのは、英語だから何とか格好がつく、というのがある。若い子たちはそれなりに日本語ラップに親しんでいるだろうから気恥ずかしくならないかもしれないが、ちょっと上の世代は日本語ラップなんて恥ずかしくて聴いていられなかったりするのだ。だからヒカルも『Making Love』みたいに、ラップ"風"のパートを作ってもちゃんと音程を付与していた。

今のヒカルは日本語を大切にするモードに入っている。しかし、だからといって日本語ラップにいつ挑戦するやもしれぬ。日本語を大切にしたラップだって可能なんだから。『Blow My Whistle』にしたって「今夜はブギーバッグ」にしたってヒカルの担当は哀愁のメロディーだ。Notorious B.I.G.の歌詞を高く評価したりとラップミュージックには理解がある、というか結構好きなジャンルではあるだろうし、自分でやるにしても特に苦手ではないだろうが、あからさまな無音程のラップは避けている節がある。こだわりなのか、たまたまなのか。ちょっとまだわからないが、流石に日本語で自己紹介ソングを書くとなるとハードルだらけだろうね。

ただ、『Making Love』にしても『Automatic Part2』にしても、ラップに近づいたパートはどこか内輪っぽいというか、ヒカルの事を知っていればより楽しめる内容になっていたなぁと捉えるのは穿ち過ぎか。話し掛けるのに近付けばヒカルの素が出やすくなる、という単純な気がするが、ヒカルがダヌパくんへの愛を語る歌が『あなた』に引き続き出てくる時にラップだったら面白いなぁ、とちょっと思ったのだった。曲の出来としては必ずしも期待できないが何やら微笑ましいトラックが出来上がる気がする。どうせなら彼の声もついでに収録してしまえばいいんでないか。いい記念になるよw