無意識日記々

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ゆずれない歌のスタイル

ヒカルは以前熊淡で『カフェよりバーで歌いたい』旨発言している。言外の意図を勝手に汲み取ると、知名度に頼らずに自分の歌唱力を試してみたい、その為自分の無名な異国の地において小さなライブ会場で歌ってみたい、という話の中でカフェNGバーOKになったのは、カフェでは誰も真剣に歌を聴いてくれないけど、バーなら耳を傾けてくれるだろう、そこで評価されたい、という気持ちなのだろう。

無意識に、だがここでヒカルは自分の歌がどんな性質のものなのかを吐露している。歌の「聴かせる能力」には2つあって、「歌を聴いていない人に耳を傾けさせる能力」と「歌を聴いている人に席を立たさせない能力」の2つだ。ヒカルは後者に長けている。

カフェでは誰も歌の流しなんかに聴き耳を立てたりしない。そんな人たちを「振り向かせる」歌というのも存在する。日本でその代表格といえばゆずである。彼ら2人が路上で歌い出せばたちどころに人集りが出来たという。2人の溌剌としたハーモニーは歌を聴こうなんてつもりもない道行く通行人たちを聴衆に変える力があった。今でもその力は健在で、ラジオから彼らの歌声が聞こえてくれば私などでも思わず振り向いてしまう。

一方ヒカルはそういう「ちょっとこっちを向いてくれ」というアピールの力は弱い。一方で、「どれどれ」と聴き耳を立ててくれた人たちを魅了する力は恐ろしく強い。故にひとたびヒカルの歌の力に気づいてしまえばそこから離れ難くなる。しかし、道行く人を呼び止めるタイプの声ではない。路上やカフェはヒカルのフィールドではないのである。玄人が飲みにくるバー向けの人材なのだ。

だから、なのか案外ゆずと宇多田両方に熱心な人、というのは互いにトップクラスの知名度なのに比べれば比較的少ないように感じられる。それぞれのファンの音楽との向き合い方が根本的に違うのかもしれない。もっとも、ヒカルは過去に宮迫博之山口智充によるゆずのパロディユニット「くず」の曲でバックコーラスを担当してリスナーの興味を根こそぎ奪い去っていった過去があるだけに、その気になれば(?)ゆずみたいな(??)タイプの歌も聞かせられるのかもしれないけどね。