無意識日記々

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検索・探索・選択のアウトソーシング

今や「音が聞ける」のは売りでも何でもなく、「聴き放題」は寧ろ前提、スタートラインである。今皆が欲しいのは、その多すぎる膨大なコンテンツの中から何を探し出して聴けばよいのか、を提供するシステムの方だ。

いやそもそも「何を聴けばよいか」という問題設定からして前時代的、20世紀的である。アナログレコードの時代ならおもむろにジャケットからレコードを取り出して慎重に埃を払いそっと優しく盤に針を落とす…なんていう"儀式"があったから「レコード鑑賞」という行動様式がひとつの趣味になりえた。今はフリックしてタップするだけだ。この違いは大きい。

アナログレコード時代ですら、売る方のプロモーション戦略は、物品であるレコードやカセットテープを売る事自体よりも「どのようなライフスタイルを提案できるか」が主眼だった。あなたがこういう生き方ならこういう音楽を買っておくといいですよ、と。「夏に海に行く?ならサザンかTUBEですね」「家に居て詩集を読んでる?谷山浩子なんてどうですか」という具合に。音楽鑑賞という枠組みより、誰のファンだとか何を聴いているかで自分の社会や仲間うちでの位置付けが決まる、そういうアイテムのひとつとして音楽ソフトがあった。

今もそのプロモーション戦略自体は変わらない。しかし実際に売るものが音楽ソフトそのものでなくなりつつある昨今、大事なのはその「プロモーション戦略自体」をリスナーに売る事になりつつあるのだ。昔は話にワンクッションあったところを直接「あなたはこういうコミュニティーにおいてこのような役割を果たす事から分析して」という文言自体でマネタイズする。それが主眼になる。

既にストリーミングサービスではアルバムよりプレイリストが大きな役割を担っている。ここから一歩進んで、エンドユーザーに対してパーソナルカスタマイズしたプレイリストを提供する事自体を有料化できれば道は開ける。皆が「聴き放題」を満喫する状況が整ったら次は必ず「何をどう聴けばよいか」という問題意識が生まれてくる。時間は有限だからだ。

あとは、それを任せられるAIかDJを連れてこられればよいのだが、という話からまた次回。